今回の骨折重度のものじゃなかったから不幸中の幸いとも言えるけれど、折れたら折れたで色々と発見がある。
例えば今左足に負荷をかけると、やっぱり多少の痛みが走る。
骨もくっつきかけだし、2ヶ月は骨が繋がるまで待たなきゃいけないというから、だいたい折り返し地点に来た。
たぶんこの傷が重かったら重いほど信用できないものになる。つまり、体重をかけたりするのが億劫になるわけだ。
人は様々な理由から不審になったりする。傷つけられたり裏切られたり酷いことをされたり。
それは心に傷を負うということで、外傷とは違い目に見えない分だけ酷さがわからない。重いと思っていたら自然と癒えていたり、軽いと思い込んでいるはずが実は重かったり様々だ。
自分の場合傷を負ったのは足だから、使えなければ困るし不便するから早く使いたいとは思うけれど、恐らく傷が治っても左足に対する不信感は残るので、少しずつ負荷をかけながら様子を見なければいけない。
外傷の場合、このように目で見えて体で確認できるのがいい。さぼらなければ筋力も取り戻せるようになる。足がなくなったとしても、義足でなんとかできるように練習しだすだろう。
でも心の傷はどうなのだろう。心の場合使わずに済まそうと思えばいくらでもできる。リスクを避け、安全で安心できる方へいくらでも行くことが出来る。意外に心も筋肉と同じで負荷をかけなければ限界がわからない。やる前からダメだと思ったり、根拠のない自信に満ち溢れて打ちのめされたりすることもある。そして、自分の限界値をわざわざ確かめないことで永遠の夢想の中に引きこもり、いつまでも夢の中の自分を見続ける人間もいる。
これらのことは、すべて「挑戦」を失っている人間が陥っている状態だ。
心の状態は普段の言葉遣いや行動に現れる。自分を見下していたり、驕っていたり、自らに対する心構えが他者に対して表現される現実での姿勢になる。自分では誤魔化しているつもりでも、きちんとやってきた人と相対すると瞬時にその臭いを嗅ぎ取られてしまう。凄い人は本当に凄いのだ。
さて、心はどうやったら強くなるのだろう。骨を強くするのならカルシウムを摂取できる、サプリではない食品を毎日とるということはわかるのに、心を強くする方法となるとまるでわからなくなる。
昔、物凄く悩んでいた。鋼鉄のような何事にも動じない心を手に入れるにはどうすればいいのか。自分を消し去ればいいのか。滅私と書いて努めようとしたこともあったが無理だった。今でも心は弱いし、昔に比べてそれほど強くなったとは思わないけれど、行動自体は意識して変えてきた。
「ないのなら自分で作ればいい。不満を持つくらいなら自分で変えればいい」
できることからほんの少しずつやり続けてきたら、心は強くならないにしろ、出来ることが増えた。昔のように「~ができないから自分はこうだ」とか「~できないのはあの人がいるからだ」という発想はまったく持たなくなったし、全て出来ないことですらも自分が悪いからだと考えるようにしてどうすれば今の状況を改善できるのか行動してきた。
自分の場合、どこで身につけたのかわからないけれど鼻が利く。面白そうな雰囲気の場所を引き当て、面白い出会いに遭遇することがある。そして特殊な才能を持った人と繋がりを持つことができる。
何もかも自腹を切って身を削って自分を曝け出して特攻していくことを繰り返しているからこそに他ならない。
私は他人にとって「いい人」である必要はないと考えているから、正直に色々表現してみる。相手を知ろうとして、その人の本性を見ようとする。その人の根っこを掴み当てて、付き合っていくべきかどうかを判別する。
漠然とした言い方をするなら勘と経験のみで嗅ぎ分ける。
当然最初からそんなことができたわけじゃない。色々な人と接して悪いものもいいものも見てきたし酷いこともそうじゃないこともしてきた。それらの経験が人を見る目を養っているのかなとも思う。
昔のように他人にあまり同情することもなくなったので、感情にズルズルと引きずられて自分の判断を誤るようなことも少なくなってきたけれど、まだまだ未熟以下の存在。
心は強くなっただろうかと己に問えば、強くはなっていない代わりに、正直にぶつかっていく勇気は出てきたかもしれないとは思う。
昔はもっと臆病で、何事にも自信がなくて、プライドだけが高くて、人を影で見下していた。愚痴と嘲笑と呪詛のような言葉に満ち溢れていた。今も愚かだが、もっと腐りきっていた。
それに比べればちっとはマシになったのかなとは思うけど、正直心の強さなんて自分にはよくわからない。
とにかく勘は実践で鍛えるしかない。自ら戦場に出て、どんなに馬鹿にされようと最前線で戦う意気込みで行動し、そして他人にぶつかっていき教えを請う。時には立ち直れないくらい瀕死の状態になるかもしれないけれど、だけどよほどのことがない限り命を取られることはない。生きていれば心は残った部分から再生していく。
そうやって負荷をかけることの連続が、やがて経験となり、うまく生きていくための自分なりの知恵をつけるようになるのだろう。
もし目の前になんらかの障害や超えられそうにない壁があり、明らかにその先に夢が存在するのなら、ボロボロになったとしてもぶつかっていかないといけない。その真摯な姿勢は、少しずつ薄い膜を重ねるようにして自分の宝になっていく。宝が出来てくると、今度は同じ苦労をしてきた人間を引き寄せる。仲間ができると共に力を合わせられるようになる。
最終的にそれが自分の心の強さになる。自分一人だけでは心なんて強くならないのかもしれない。
だからやらない人間や逃げ続けたり言い訳ばかりしている人間が強くなれるわけがないし、言葉に重みが出てくるわけがない。だから他人も惹かれない。当然似たような仲間たちで埋もれたり、段々と孤独になったりする。当たり前のことなのだ。
だから強くなりたかったら挑戦するべきだ。いつだって、何歳になったって、その汗は美しい。
「あなたの過去は確かに酷かったかもしれない。だがこれから何者であるかを決めていくのは自分自身なのだよ」
[1回]
PR