この世の中には、物理的な暴力のほかにも数多くの暴力が存在している。
私は自傷行為を物理的にしていたが、今は精神的にもしている。
人間は、証拠がなければいけない。
なぜなら、人間社会は理屈で納得しないと(背景に心理的事情があったとしても)、動けないからだ。
私はストレスがたまるとどうしようもなく自分をいじめる。
拒食症と過食症、どちらも痩せる。
過食症がなぜ、痩せるかというと、吐くまで食べ続けるからだ。
つまり、尋常じゃない量を食べて、吐く。これが病的な過食症。
私の場合は過食気味になる。だから吐くことはない。
酒に走って、酔った勢いで食べる。
自傷行為も残念ながら暴力だ。
自分は、自分の中でどうしようもないほどの暴力的衝動がうずまいているのがわかる。
こんな人間はこの感情の使い方を間違えば、誰か人を殺しかねないこともわかる。
世の中には数多くの暴力行為が存在している。
食べるという行為も、他人に暴力の代行をさせているだけで、食卓に並んだものは、暴力の代償だ。
以前、菜食主義者を何度か掲示板で見たことがあるが、彼らの言い分は「植物は痛みを感じないから」だそうだ。他にもあるだろうけどさ。
科学的に立証できなければ、植物に対する暴力でさえもうまく自分の中で丸め込めるらしい。
残念ながら、「痛み」を科学で立証できないだけで、植物に対する殺生行為も残念ながら同じことだ。
せいぜい自分を納得させるために、理論武装をすればよいと思う。
理屈で納得しているだけに過ぎない。
残念ながら世の中には、人間が直接「暴力」と認めない行為も、私は暴力の範疇にくくっている。
ただし、人間社会を維持するシステムの中には、私ながらの厳密な意味での「暴力」は組み込まない。
でも、自称者諸君には言う。
君たちのやっている行為は、己ならず他者に対する暴力行為でもある。
それも、精神的に追い詰めてしまうほどのひどい暴力だ。
私は知っている。
自傷行為というのが、己の存在価値をどこかで確かめたい行為だということを。
・・・やってたんだよ。自分も。
この世界には理屈でその本質を隠しているだけで、その姿は醜い破壊行為と暴力行為を数々行っているのを知っている。
私は数多くのものを傷つけ、殺しているのを知っている。
だからこそ私は、既存の倫理や道徳や規則を時折無視している。
守っても、緩慢に死ぬだけで、どうせなら積極的に死んだほうがいいからだ。
世の中は欺瞞に満ちている。
暴力を嘘で隠し通す。
そしてその嘘を真実だと理屈で納得させることで人間社会はよからぬ方向へと向かうのだ。
暴力はこの世界に満ちている。
私の中にも、あなたの中にもそう・・・
私が耐えられなくて死ぬのが先か、あなたの欺瞞が永遠に続いてそれを「幸福」と呼んで終わるのか。
私はこの日記を素面になった後でも消さない。
久しぶりに、よい意味で壊れた自分が出てきてくれた。
目が覚めたときには、もう帰っているだろう。
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