色々なことが経験できた。
作品を書く都合上半分以上はこもっていたけれど、色々な感情を経験できた。
太宰治を追って11月1日に三鷹へと行った。
そこの太宰治文学サロンに足を運び、銀座のルパンというバーに出入りしていた事を知り、初めて銀座価格というものを体験した。
3杯飲んで6千円。
うへー。
みんな飲みなれているというか、酒の楽しみ方を知っている人たちばかりで、自分には敷居の高い場所だなと思った。
あんなにおいしいマティーニを飲んだのも初めてだった。
幸運にも入ったときに奥のコーナーのカウンターに案内され、太宰治の写真を目の前にして飲めた。
今でも充分もてるほど、というかタレントみたいにカッコイイ男です。
あの新潮文庫とかに載っている頬杖をついた憂鬱そうな太宰の写真とは違って、とてもキザな感じさえもします。
今年で没後60年来年は生誕100年ということで、自分が書こうとしているものに、何かめぐり合わせを感じます。
もし作品が世に出るようなことになれば、私にとって相当厳しい状態が生まれるかもしれません。
そしてそこからが作家としての本当の戦いが始まるような気がします。
人を背負う、魂を背負う、心を背負う、すべてを見つめる。
空白の時間を過ごし、語れる過去もあまり持たないまま幼稚園児におじさんと呼ばれる歳にまでなってしまいました。
私はこれから過去を作ります。
そして歴史を作っていきます。
誓います。
私が思い描いていた事を、私は生涯かけて実行していきます。
日本国内の影響にこだわらず、海を越えて、世界標準で。
感謝しなければならない人がたくさんいます。
私を支えてくれ、心配し、愛情を注いでくれる母親。
私を支え、不器用ながらも愛情を伝えようとし、心配から嫌味のようなことも言われ、嫌な思いをしましたが、父親がしっかりと稼いでくれたから、私がここまで育つ事ができました。
心の弱い父親だとは今でも思いますが、忍耐強くお金を払い続け、それを数々むげにしてしまったことを深くお詫びいたします。
そして、私は父親が息子を誇れるような立派な仕事をしたい。
諦観させたり落ち込ませたりしたことが多々ありました。
今まで、ひとつとして感謝できなかったけれど、今は父親を尊敬しています。
私は、ようやく私の意志を持ち得ました。
そしてようやく飛びたてます。
両親の心配に絡まれてがんじがらめになっていた精神を今自由にさせます。
両親へ。
あなたたちが子供を愛しているように、私も両親を愛します。
私は私の仕事をしたい。
私は私の人生を生きたい。
数々の多大な援助をしてくれた人たち。
私を歌舞伎につれていってくれて、無気力の世界から救ってくれたK。
私が今東京にいるきっかけを作ったS。
などなど、必ず私は飛翔するでしょう。
待っていてください。
無駄ではなかったのだと、そう、思わせたいのです。
ルパンでは80周年記念グラスをいただきました。
また、お会いしましょう。
太宰先生。
ルパンのスタッフの方々。
ありがとう。
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