ふと、NHKスペシャルの核番組を見て思ったのだけれど、日本に原爆が落ち、データがあり、アメリカからの情報提供があったとしても、想定される数字は過去のデータからのもので、本当に威力が過去のレベルでとどまってくれるような生易しい核爆弾が現代にできるものかと疑問を持ちましたが、どうなのでしょう。
パソコンの進化を見ても、62年前の日本に落ちた核爆弾が62年分の進化を遂げていると考えるのは普通だと思うのですが、昔から威力は変わってないのでしょうか?
核爆発でもうひとつ、通常の地表面での核爆発のほかに上空での核爆発があるようで、こちらは電磁パルスを発してアメリカの半分をも飲み込むほどの広範囲での威力を発するようです。
人体には直接影響はないといっても、通常の核爆発よりも数十倍の効果を発揮しそうです。
電磁パルスは電子系統をすべて麻痺させます。
われわれ現代社会に住む人間は、「数字に関わるものすべて」は電子系統を使っていると言っていいでしょう。
われわれの一番身近な数字は「お金」です。
「われわれが支払っているお金に関わるものすべて」だったら、どうなるでしょう。
水、ガス、電気のライフラインのストップはもちろんのこと、車や電車も止まり、それにより流通がストップし、原始社会に戻ります。一瞬にして現代社会の廃墟ができるわけですな。
空を飛ぶ機械が街に落ちて火事になったとしても、消防車なんて動くわけはなく、かといってバケツリレーで消せるわけもなく、下水道処理施設は当然ストップし、湖や川や湧き水でなくては水は確保できなくなります。
車も船も飛行機も電子回路を持つものは何もかも動かなくなる。人力以外には何も頼るものがなくなるわけです。
これが日本ではなくても、アメリカだったら経済活動が麻痺し、アメリカの証券市場が麻痺し、日本の株が打撃を受け、外貨流通に支障がで、世界は混乱に陥るでしょう。
と、色々考えていくと、なんともろい世界に依存しているのでしょうと思うわけです。
今の段階では核から思ったことはそれぐらいで、核廃絶とかとてもじゃないけれど実現しそうもないことはあまり考えませんでした。
もし廃絶するとして、じゃあそれ以上の威力の細菌兵器は?仮に実現したとしても、絶対それに取って代わられる大量破壊兵器ができるわけで、結局真の平和はつかの間に求めるしかないのかも、と思ったりするわけです。
最近よく思うのは、われわれはこの依存している世界の中で、デジタルが進む現代社会の中で、アナログを忘れ去らないという信念のようなものが欠如し始めているような気がするのです。
より具体的に言えば、五感と心を含めた生身で感じる情報というものが、現代社会には少ないのではないだろうか、とよく考えます。
体の中に「利便性」や「数字の支配」というものを染み込ませてしまっては、本来の人間らしい豊かな感情から離れてしまうのでは?と危惧するのです。
自然の中にいるから健全な人間が絶対できるというものでもないでしょうが、われわれは「数字を利用」しなければならないわけであって、「数字に支配」されてはいけないのです。
だからと言って悪い成績をとっていいというわけでもないですよ。学生諸君。
「利益」や「力」というものに、もっと疑問をさしはさんでみては?と思うわけですが、いかがでしょうか。
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