ちょっと独り言コーナー
自分は自分のことにはあまり一生懸命にはなれないのに、どうしてここまで他人のことに一生懸命になれるのだろう。自分のことはどうでもいいとか思うことがあるのに、どうして他人はどうでもよくないと思えるのだろう。色んな人に親身になって、相手の気持ちを一生懸命考えて、見返りも求めず、他人の感情や人生を心に宿す。まるで何人分も生きてきたような気持ちになっている。実際は何一つ知らない人間なのに。これはきっと愛情とは程遠い何かなのかもしれない。生きがいを探しているだけなのかもしれない。偽善と言われても別になんとも思わない。自分の魂が汚れているかそうでないかなんて、あまり興味のないことだ。逃げようとする苦しみは不毛な感情しか生まなかった。あいつさえいなければ、こうしなかったら、ああすれば。立ち向かおうとする苦しみは感情に深みを出した。より人の気持ちが理解できるような気がした。それが何になる。金にならないことだ。金になることだけが大事なことなのだろうか。
この世界に生きていて時折虚しい気持ちになる。この世界に生きていて時折嬉しい気持ちになる。人は騙し疑い傷つけあい卑劣な脅迫もするし殺しあう。それも暴力に頼らない陰湿な方法で人を殺したりする。時折、その人殺しに関わっていることがあるかもしれない自分は、もはや聖人君子にはなれない。いや、なりたくもない。こんな自分でも、あたたかく接してくれた人たちがいた。山形の太鼓の会の会長とその幹部たちや佐渡の人々。初対面の私に都会では考えられない温情をかけていただいた。そういう思いに私がむくいるには、私も人に対して同じ事をするしかない。彼らの思いに少しでもむくいることができたらと時折思う。
ちびちびとしか進まず、口先だけの自分に呆れ果てる人も中にはいる。いつか自分で自分のすべてに決着をつけたいと思っている自分もいる。一番矛盾を抱えているのは自分で、一番もろいのは自分で、だから「本物」に出会ったとき、焼けるような嫉妬心におそわれるのだと思う。己が未熟だと言うことも棚に上げてだ。なのに、人一倍努力しない。愛なんてきっとないのだ。あるのは、理由を捜し求めようとする心なんだ。
そう、ひらりと感じた。
たまには独り言。
追伸:読み返してみてあほらしいと思った。一人で勝手にほざいてろってな。独り言だから言ってもしょうがないけど。一人で勝手に突っ込んで落ち込んだ。寝よ。
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