よく聞く言葉だ。
「~がないから~できない」という。
なんとなく、本当にそうなのだろうか、と考える。
つまり、確かに慣習上や今までのパターンから言えばそうかもしれないが、そのセリフの中にアイディアや努力などは含まれているのだろうか。
自分もよく人に対して断定的に言うことがある。
しかしもしその言葉通りになるのなら、言った時点からは何も成長していないということを意味してる。
正直、私はそういう人間と付き合うのが嫌だ。
昔、数年前と何一つ変わらず、しかも状況が悪化している人と出会い、変な錯覚を起こした。
「自分は過去に戻ったんじゃないだろうか」と。
人は何かしら大なり小なり挑戦していれば成長していくものだ。
その場限りの何かでしのぐより、年相応の積み重ね方ができる。
すべてのことが足りなくて私たちは生まれて、そしていつの間にか大きくなって、年齢によってこなせることが出来ていないと責められてしまう。
何もなくて生まれてきたのだから、いつだって足るように成長していかなければいけない。
それがいつの間にか周囲の環境や過去に慣れ親しんでしまって「~だから」と自他共に言い始める。
そんな夢のない言い方があるだろうか。
創造力のない言い方があるだろうか。
ただ、やっちゃいけないのは、人に対して著しく不誠実な行為をすることだ。
清廉潔白で人生を終えることはできない。
だが、義理や相手の信条の通し方ぐらいはきちんと学んでいこうと思わないと、いったい何を得られるというのだろう。
私たちの人生は妥協の連続。
忍耐力の豊かさを学ぶのが「経験」というのかもしれないと最近思っている。
決め付けるのを少しだけやめることで、人を幸福にするための能力を考えることで、私たちはもがくことができる。
そのもがきのなかで、這いずり回った十センチの中で、私たちは大きな発見を得る。
そうやって成長していく。
だから「~がないから」などと言って、いつまでも行動しないのは、他者を責めるよりも前に自分の臆病さを敵としたほうがよいのだ。
私だってろくな人間じゃないが、それでも、一人でも幸せな気分に浸らせたいよ。
そういうものを見られたのなら、きっと酒がおいしくなるに決まっているからね。
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