年を取ればなおさら。
若ければあまり気づきにくいが、若かったとしても、ものの一年ほどで衰える。
これは体力的な事に限らず、能力や技能、体に備わる様々なことに言えること。
使わなければ衰える。
今、ボイスドラマのことをやっているけれど、例えば歌。
高校生の頃は喉を開ききってのびのびと歌っていたのに、今は喉を絞りきって歌っているため、すぐに喉が痛くなる。
腹で歌わなくなったので伸びがまったくなくなったし、何よりも張りがなくなった。
今も喉が硬いまま声を出し続けているため、すぐに声がかすれてくる。
そういえば、シナリオも書くようになったけれど、思ってみれば昔の方がインスピレーションは高かった。
もっと自由に様々なことを発想できたし、もっと突拍子もないことを考え付いていた。
今はというと、「~しなければいけない」「~であるべき」「~は~だ」という考え方が染み付いていて、そんなガチガチの思考がインスピレーションをことごとく奪い去っている。
その原因には「ストレス」もあったし、自分の経験、物事が思い通りに行かないという妙な焦りや、消極的かつ否定的な考え方もあったし、とにかくイライライライライライラして、ちょっとしたことでも収まりがつかなくなったりと大変だった。
今ほんの少しずつ若かりし頃の自由な状態というのを取り戻すきっかけのようなものが見え始めている。
しかしまったく若かりし頃と逆なのは、いわゆる努力とか苦労とか、簡単な言葉で言い表わせれるけど途方もない積み重ねをしてこその「自由」なのだということが日々身に染みてきている。
それは「大人の自由」ってやつなのだと思う。
ただ、私は運がいいし、人生にとって重要な事を引き寄せられる強烈な力を持っていると信じているので、私の環境は私の大事をこなす上では幸運な環境なのかもしれない。
しかし、何かを生かしてやれる能力さえ身につけていけば、そして努めて他者のためにその能力を発揮できれば、トータルで必ずプラスになる。
たとえ批判する人がいても、傷つけてしまう人がいたとしても、その分はいつかは取り返せる。
自分の中で世界を狭めてしまうことが一番人生のリスクを高くする。
日常の中に溺れきってしまうと、自分の何が衰えているのかなんて気がつきやしない。
一生懸命仕事して、クタクタに疲れきっていて、「遊び」の自由も忘れ、ちょっと走ったらすぐに息切れ、あれ? 自分こんなんだったっけ? こんなに疲れやすかったっけ? なんて過去を思い返したり。
そんな瞬間はふとした時にやってくる。
年を取れば衰えてくるものもあるけれど、それ以上に積み重ねられるものがある。
使えば使うほど積み重なる物だって、大人だからこそある。
逆にいえば使っていないものは、まったく伸びない。
人は自分の持ち得ないことや知りえないことを様々に想像して勝手な事を言ってくる。
その時自分に問えることは「いずれ自らの行為は他人に誇れることか」だと今は思う。
真剣にやってこそ見えてくるものがある。
真剣にやって、ようやく気がつくことがある。
そんな自分にとっての新しい発見が、自らの心を豊かにしていくし、人生に潤いを与える。
だからこそ、限界だと思うもう少し先を目指して、自らを使ってみるといい。
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