小さなホールで客に囲まれて、貴女はスポットライトを浴びていた。
長らくやっていたであろう証が、真剣に聞き入るお客で表わされていた。
普段はかわいらしいあどけない声でしゃべっているけれど、歌声も変わることはなかった。
美しい声は時を彩り、夜明けの日を誘っていた。
今日はとても麗しい日が始まるのだろうと、その明るい声だけで期待できる。
人の声は不思議で、その声に聞き入る人たちの瞳が輝いている。僕もまた、そうなっていたに違いない。いつもより見える世界が輝いている。
それはきっと、貴女自身の魅力であり、声を通してわかる人間性だったり、その人の優しさの広げ方だったりする。
貴女の気配りは細かく利いていて、できる限り一人一人、時間が許す限り、その瞳を合わせて話そうとする。
これが人の美しさというものなのだろう。
貴女を見ている僕は刺々しく、ナイフをちらつかせて人を脅しつけているに過ぎないチンピラだ。
偶然街のバーで歌う貴女に出会い、僕は僕自身の愚かさに色々気がつかされる。
部屋の中じゃ外の様子はわからないけれど、きっとここから出れば眩しい光が待っているのだろう。
お客のふかす煙草の煙で少しだけ貴女が見えなくなる。
酒の香りは自分だけが発しているようにも感じる。
何杯目なのだろう。酔って、苦労とか悩みとか考えないで、全部頭の中から飛ばして、そろそろ限界というところでズブロッカが空いていくのが止まる。
これ以上は酔いすぎていけない。ぎりぎりの場所でゆらゆら揺れながら、貴女の歌を無心で聴くためには、まるで麻薬のように酒を煽って自分を消さないといけない僕を隠しながら。
手を広げ、伸び伸びと声を広げる貴女。
一瞬歌声に脳天が貫かれて、嗚咽しそうになるのを堪える。
貴女と目が会い、僕は目をそらす。恥ずかしさを覚え、顔を掻き毟って別人になりたくなる。
貴女は僕が来たとわかったのだろうか、微笑みながら、より高らかに、声色強く響かせる。
暗闇の魔を打ち払い、女性客のロングカクテルの氷が半分以上溶けても少しも減らぬ、その歌声。
吸い込まれるのではなく、背中から優しく抱かれる。
僕は曲の途中で時計をチラチラ見る。
ずっと聞いたいたい、ここにいたい、そんな個人の願いなど通せるほど裕福ではない。
さもしい毎日のやり取りの中で、ひとつの安らぎを見つけ、僕は寝起きの学生のように、後数分、後数分と伸ばしつつ夢の中に戻り浸っていたい衝動に後ろ髪を引かれていた。
秒針が十二を突いたら、行こう。
用事がある。外に出て汚れた空気を吸う気分になるのは本位ではなかったけれど、僕には僕が背負った世界がある。
早い秒針。鼓動のように。
ステージの貴女に背を向け、チップをバーテンに置いて徐々に離れていく。
またお互いの時間が合えば歌声を聴けるだろう。
小さなホールのドアを抜けていくと、眩しいほどの朝日が昇りつつあった。
僕はそのまま都会の片隅へと消えていく。自分が生きていくために、背負ったものを深呼吸で意識しながら。
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