悲愴は他者を貫かない。
その気持ちを抱いた当人を自刃のように深く……。
手を伸ばし指先が栄光に触れんとした時、男は闇に閉じ込められ胸を鋭い棘に貫かれた。
暗く息苦しい閉所の中で虫の息で震えていた。
くたばりそうなほどの熱帯夜が続いていた。
クーラーもまともにつけられぬほど生に興味を失っていた。
絶望とは臓器も魂も掴み引き抜くかのように、体の中に何も残さない。
朝目覚めると体が脱水して硬直しているのを感じていた。
まだ動けた。
全てを出し尽くして男は失敗し、魂の抜け殻と化していた。
当然そのような状態では女に逃げられ、罵声の限りを尽くされ、友達も消えていった。
アイアンメイデンという拷問器具がある。
これは棺桶のような器具の中に針が仕込んであり、閉じることで中の人間を串刺しにする。
針の場所によっては絶命には至らず、長らく苦痛のみを味わわせることができる。
暗闇の中で微かにすがるのは、柔らかな思い出。
絶望とは死にいたる病だと言っていた人間がいたな、と思った男はタバコに火をつけ、深く煙を吸い込んで肺に巡らせ水よりも先に巡るニコチンの感触に煙草を挟んだ指先を震わせていた。
この社会のどこに立っていていいのかわからぬ男は思いっきり吐いた煙で曇る視界の中に、いつまでもガタガタと余計に震えている指先をぼんやり眺めていた。
お前は怖いのか。
死んでしまうのが怖いのか。
魂は死んでいるはずだと思っていたのに、この指先だけは死ぬことへの恐怖を感じているのか。
部屋の温度は三十八度を示している。
なのに体は寒気を感じている。
男の思考はさ迷っている。
擦れた咆哮を喉の奥から出し、灰皿まで手を伸ばせなくなったため煙草の火を奥歯で噛み消す。
舌が焼け、歯の神経に熱さが伝わる。
確かに愛していた女の最後の逢瀬が指先に甦る。
乳房を握り、体を抱きしめ、体温の熱さを指先で感じた最後の夜。
這う。這う。震える体で、這う。無様にも。
もう洗面所やキッチンで水を汲めそうもない。立ち上がれないのだ。冷蔵庫にも何も入ってない。
残っているのは便所の、水。
闇に閉じ込められ、無数の針に貫かれた絶望の先に、たった一つのぬくもりと、希望を見つける。
便所の陶器に女の白肌を思い出すとは、いかにも滑稽だと可笑しくなり、男はその水を飲むべく両手を差し伸べる。
その時、聖母は微笑み、男は傷ついた命を握った。
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