人は汚泥の中でもがくのだろうか、と神村は思っていた。
今時珍しくペンと原稿用紙で小説を書き、昔なら三文銭と言えるようなわずかな収入を得ながら生き延びていた。もはや風貌は浮浪者とさして変わりはない。
神村清語というペンネームだが、これは本名の村上清志をもじったもので、清き言葉が神より降りる場所、という意味も込めていた。
たいそうな名前だが作品は売れず、売れないからと言って面白くないわけではないが、特に読者を選び、人生経験を重ねた年配にようやく理解できるようなことを書いているため、とっつきにくいという欠点があった。
元々彼は祖父に懐き、そのことが原因で両親から妬みを受け、さらに祖父に懐いていくという悪循環を繰り返していた思春期を過ごしたものだから、祖父の話から多くのことを得た。
どこか四十手前にしても頭は硬く、古い時代の思想を、そのまま人生訓として映し出していた。
会社経営をしていた祖父の取り巻きは良くも悪くも人間の業をよく示していた。金目当てに来る者がほとんどで、祖父の真の友達はというと、貧乏時代に一緒に過ごした不遇の芸術家ただ一人だった。
その芸術家は絵を描いていたが、ほとんど誰にも見せず、祖父にさえ見せたことは記憶のあるうちでは二度しかなく、その時買い取った二枚だけが家に飾ってあった。
芸術家は祖父よりも早く死に、数多くの遺作があったが、祖父が死に気がついた時には住んでいる場所は片付けられていて身寄りのなかった芸術家のすべてのものはゴミとして処理され、祖父が悔し涙を流していたのを我が事のように神村は覚えていた。
あの芸術家は、実力があったのだろうか。
家出する時に持ち出した一枚の絵を今でも時折押入れの中から出しては眺める。
湖畔に浮かぶ月の絵だが、何処か歪んでいる。その歪み具合が水面に映し出された月に吸い込まれるように描かれているのだと、泥酔した時にようやく気がついたが、このことに気がつくのに絵を最初に見た時から数えて実に二十年近くもかかった。ただの絵が動いて見えるのだった。
気がついてからというもの、才能の深さに畏怖したが、芸術家の死から十年近くも経っていたから存命中は不遇とは言うが、食うのにも困るほどの有様だったのだった。
そして神村も今、同じような貧乏生活をしている。
何故、作家を目指したのか。
理由はただ一つだった。
何をしても役に立たないから。
出来ないことはなかった。ただ習得に時間がかかり、自分のペースを守っているため、周囲の速さについていけないのだ。
そのような人間は利益活動をする会社という組織においてはお荷物になる。
だから、会社では生きられない。会社で生きられなければ社会で生きられない。綺麗ごとを言っても図式はこうなっているのだから、神村自身の力ではどうにも抗いようがなかったのだ。
弾き出され弾き出されて辿り着いたところが、ここだけだった、という話だった。
ただ、一つだけ恵まれていたのは祖父の影響もあって芸術方面への興味はあった、ということだった。レコードはクラシックのみであったし、絵画にいたっては日本画も西洋画も両方古今東西、写真集も当時は揃っていたし、今は有名となっている写真家の写真もあったり、勲章までもらっている陶芸家の作品もあったりで、恵まれすぎているほどの環境はあった。
しかし神村には才能がなかった。
つまりは自分の知識や経験にこだわるあまり、今起こっていることや、見えていることを真正面から捉えず、過去と対比するばかりで進歩がない。
当然回顧主義と思われるような作品が多く、かつその多くに「喪失」的な観念が強く出ていたため、作風はじめじめと女々しいような印象を受けた。
それでも神がこの男を見捨てなかったのは、時折「才気」と思われるような作品を発表した。
社会経験も乏しく落ちこぼれの神村が感情のありのままに叩き出した作品数品。百を超える作品を書いてはいるが、打率としては一割以下だろう。だが、凄みがあった。等身大の人間の偽らぬ生々しさがあり、かつ文章も簡潔であった。
その時の環境は決まっていた。ほろ酔いで、部屋は薄暗く、手元のスタンドランプのみで、六時間以上外には出ておらず、誰ともパソコンや携帯電話を通じて会話をしていない時だった。その数品の作品のみ原稿用紙の升目から文字が大胆にはみ出ているというのも特徴だった。
酔いすぎてもいけない。そこで何か食べたくなるが何も食べない方がよく、明るいばかりに様々な物が目に入ってくるのもいけない。外の影響を受けない集中できる環境であることも重要である、ということだ。条件が揃った時のみ結晶のような作品ができた。
神村自身はそのことには気がついておらず、バカらしくも生真面目に毎日文章を書いている。
何がどう受けているのか、神村自身に見分ける才はなかった。
作品のいくつかをネットで発表していた。誰もがやっているブログや自作小説発表サイトで出してはいたが、自分で印刷所に持っていって、紙の本にしたものを決まったお客に買ってもらうのが神村の収入源ではあったが、ある日ネットで作品発表ごとにコメントをくれる存在に気がついた。
あまり機械関係の扱いは得意ではなかったが、コメントをしてくれる人の存在があることによって覚えることも多くなっていった。
返信と、それへの返信。繰り返すうちに親しくなり、直接やり取りするようになるまで半年もかからなかった。
神村の古臭い思想にも同調してくれ、神村自身の作品にも大変思い入れがあるようで、自身が忘れ去った作品にまで熱く語ってくれるため、嬉しさよりも逆に申し訳なさの方が大きくなるほどだった。
これほどまでに傾倒してくれる人間が現れようとは思ってもいなかったため、神村の熱弁はより熱くなってくるが、相手はそれでも熱心に食いついてきた。
人の心とは妙なもので、いつの間にか心の中に大いに受け入れた存在を好きになってしまうものなのだろう。
両者が胸の高鳴りを告白したのは自然の成り行きだった。
聞くと相手は人妻だと言う。
特殊な思想を持ち、社会からはみ出した神村にとって、ほとんど親しく付き合う異性は、その人妻が始めてであった。
会いたいという思いは積み重なっていったが、神村には金がない。
近場ならよかったが、これもネットの特性。案の定遠方の人間だった。
自分がいかなる人間か、人妻にはことあるごとに告白し、後で嫌われるくらいなら今すぐにでも正直に告白した方がいいだろう、という思いで包み隠さず言ったが、それでも好いてくれたことに驚きを隠せないでいた。
ふと、芸術家のことが頭に浮かぶ。
このまま親しくなったところでどうするというのだ。不遇のまま死んだ芸術家のことを考えると自分はもっと酷いではないか。それなのに何故、この人と男女の気持ちを覚え惹かれていくのだ。それよりも以前に、俺には何一つ責任を取ることができない。
両親から未だに嫌われ、愛を知らなかっただけに人妻の想いには一つ一つ打たれ染みていくようだった。
母性に飢えていたのかもしれない。
結局人妻の支援を受けて会いに行くことになった。会いに来たとしても人妻の金を使うことにはなったが、神村にとっては初めての女となった。
かといって女に溺れるようなことはなかったのだが、神村自身の持論をぶつける場が人妻になったので、増長するばかりとなっていき、長年抱いていた両親への鬱憤も人妻にぶつけることになっていった。
生まれて初めて自分勝手にできるように感じた神村だったが、それでも真剣に人妻は話を聞いていた。
当然持論を固めてしまえば未来を見ることはない。未来を見ている錯覚を抱いているのみで今を無視していく。
その癖は人妻との関係にも影を落とした。
関係がばれることがなかったのは、人妻の旦那との関係があまりよくなく、離婚も秒読みであったことだった。
恐らく今から思えば彼女は自分との結婚を望んでいたのであろう、と神村はしみじみ思い出す。
破綻の原因となったのは神村が説教がましく指示が強くなっていったことと、理想が大きくなれば現実での苦労を無視して正論じみたことだけ押し付ける。そしてもう一つは神村自身が増長の果てに自らの能力を高く見積もりすぎ、浮ついた人間の関係性や金銭関係を取り扱ったことによった。
二年ほど関係は続いたが、崩れる間も半年と待たずおかしくなっていった。
最後には恨み節を吐き掛け、互いにののしるまでにはいかないまでも、きつい言葉を投げかけあっていた。
何がいけなかったのか。神村自身は未だに気がつくことがない。
ただ、人妻も神村の「過去の一部」となったため、根強く心の中に息づいているということだけだった。書く理由が神村自身にたった一つ強く生まれたため、そのたった一つにしがみ続けている。生きる理由だと言わんとばかりに。
神村の作品は売れない。その理由は彼が常に過去に生きているからに他ならなかった。
その作品群が将来日の目を見るかは神村自身も知るよしもない。
芸術家の絵を時折出すが、一分くらい見た後に目を閉じると瞳の奥底で渦を巻くようになった。
芸術家の絵の真の姿が、目を瞑った時によく見えるのは皮肉なことだと思い、残り少ない大きなペットボトルに入った安酒に神村は手を伸ばした。
コップ半分も体の中に入ったところで、神村はいつも通り泥に埋もれていく。
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