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あさかぜさんは見た

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03/27

Tue

2012

生きる価値ってありますか

ずっと書き込みが決着つかないスレッドがあり、「生きる価値ってありますか」という質問に、誰かが代わる代わる書き込んでいく。
2,3年経ってもまだ書き込まれているし、おそらくそこが終わったとしても、また別の場所で別の誰かが同じような質問をするだろう。

この年になってわかってきたことがある。
精神的に強い人間と弱い人間は確かにこの世にいて、強い人の理屈、よく言われる「やればできる」というような「行動で精神的肉体的に高揚・ステップアップさせていく方法」、つまり「体育会系」の理屈では、どうしてもついていけず、体と精神の調子を壊してしまうという人がいる。
ツイッターでも松岡修三botがあるけれど、ああいう論調のが毎日横にいると、たちまち体調崩す人がいるということ。
場合によっては、死もある。

そもそも精神的肉体的ペースと力の入れ具合の違いを「強弱」という言葉で表現するべきではないが、この資本主義社会、近代社会を維持しているのは、日々働いている人たちであり、社会は当然その人たちの理屈で動いているわけである。
単純に言えば、の話だけど。

そんな社会を動かす人たちの理屈が、とても苦しく、生き辛さを感じさせ、最後には死を選ばなければいけなくなる人たちもいる。
死因としては「うつ病」に近いものが圧倒的に多い。
よく「社会のシステムが」とは言うが、結局突き詰めれば「人に対する接し方」の問題にもなってくる。
システムがどうあろうと、人に対して優しくすることぐらいはできる。

ほとんど全年齢高い数値なのだが、特に中高年の自殺者が多い。
「人生もう行き詰った」「これ以上生きられない」
打つ手がなくなれば頼るものなく死んでいく様子が見て取れる。
断定はできないが男性の自殺者数がずば抜けて高いところを推測すると、この日本社会が「男の理屈」によって支配されているのではないか、とも私は考えてしまう。

生きる価値を見出せなければ、死ぬことに直結していく。
価値という概念を見出せなければ、存在意義さえも失っていく。
ある意味恐ろしいなとも思う。

生きる価値ってありますか。
その問いにたとえ答えがなくとも、誰かに言えるようなことがあろうとも、すべてその人の「哲学感」だ。
そう、答えがなくとも、それでいいのだ。
年齢によっても変わるし、私の日記なんて、私自身が30年後に見たら、卒倒して「なんてくだらないやつ」と罵るほどのことを書き連ねていることも承知しているが、その時にはその時思っていることが自分の正直な気持ちであり、自分に対する生死観なのだと思う。

特に他人の言葉をいくら求めようとも最終的に気持ちに決着をつけなければいけないのは自身だし、当然それは言われずともわかっているだろう。
そして精神的にきついときは「期限を設けない」というのが大事だ。
社会ではさまざまな区切りを設けて、どうにもそこについていけない、自分の体が、お金が、と様々な数字や価値観に区切りを強制的につけられる環境にあるが、最低限の生活があるのなら、期限を守れなかった自分を責めてしまうのではなく、自分のペースにゆったり合わせるのがいい。

比較対象にされながら、自分も自然とその漠然とした強迫観念の中にありながら、人を、自分を責めてしまうが、それは本当に正しい見方なのだろうかと思うところが多分にある。
人間に対する正しい見方とは、一体どういうものだろうと、よく考えるわけだ。

自分も「価値概念」の呪縛から逃れるには相当時間がかかったけれど、つまり「日本社会での考え方も、ただのひとつの基準でしかない」と行き着くには、かなり「自己の確立」が必要だったし、おかげでこのような偏屈で少数的な人間になってしまったけれど、これはこれでいいやと思っている。
だってやっぱり社会のスピードにはついていけなくて体調壊してしまうのだもの。

前向きな言葉、楽天的な観念、それが通常の人間には必要だけれど、暗闇にひっそりいるような気配が必要で、光の強さには耐えられない精神状態の人だって数多くいるということは、よく経験させてもらった。
人を前向きにさせる言葉が、その時には毒になる。
死に至らせるほどの強い薬になってしまうことになることもある。

人間が価値を決めなくとも心臓は動くし、よほどの鉄の意志を持たない限り、食わず飲まずはできない。
本能として生きたがり、思考として死にたがる。
ちぐはぐな辛さを抱くから、ネガティブなことを言うと落ち着く。
そういうのもすごくわかる。

逆に誰かに認められたい、褒められたい、抱きしめられたい、もっとわがままに生きたい、欲望からくる苦しみもあるだろう。
欲望がとことん否定されて価値を見失う。

人の悩みは尽きない。
自己矛盾にどこまでも苦しむ。
いいじゃないか、価値を無理やり見出そうとしなくたって。
そして誰かの中に自分の価値を認めさせようとしなくたって、十分生きていけるし、もしどうしても価値を作りたいのなら、ごみ拾いでも始めればいい。
花壇でも作って花を育ててみるといい。
そんなたいしたことなさそうなことでも、尊い価値になる。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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