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あさかぜさんは見た

日記

04/11

Mon

2011

 なまず先生は漁港の手伝いをしているのに魚を食べるのが大嫌いだ。
 でも、魚を見るのは大好きだ。それにあまり仕事をしないことでも有名だ。
 なまず先生はお酒が好きで酔っ払ってはしゃぐのが大好きだ。
 でもなまず先生は太っているから暴れまわることができない。
 そうは見えてもなまず先生は力持ちで体が大きいから町の人たちの誰よりも強い。
 なまず先生はいろんな人を力仕事で助けるので、お金がなくても生活に困ったことがない。
 もちろんお酒にもあまり困ったことがない。
 周囲の人がなまず先生が酒好きだと知っているのでお酒やつまみを持ってきたりするからだ。
「先生」とは言っているものの、なまず先生は教師でもなんでもなく、誰が言い出したのかわからないけれど「なまず先生」で通っている不思議な人だ。
 鼻の下に口ひげがあるけれどなまずのようには長くはない。
 なまず先生は大きな体でお酒をたくさん飲める印象を受けるが、とても下戸だ。
 コップ二杯ほど日本酒を飲むと結構酔っ払う。
 だから大きな体に似合わずチビチビとお酒を飲む姿がかわいい。
 つい一週間前までは笑いあっていた仲間が今は半分ほどいなくなってしまった。
 高台から見る津波にやられた町並みは焦げ臭いような臭いを運んできて吐き気がこみ上げてくるようだった。
 見るだけでも心が乱れてくる。
 まだ雪がちらつくほど寒いが、夜に炎を囲みあっているだけで不安で潰れてしまいそうな気持ちも多少押さえ込むことができている。
 食料も物資も心もとなく、爆発して止まらなくなりそうな苛立ちや不安を皆必死に抑え込んでいる。
 ドラム缶に流木などを入れて燃やして暖を取る。
 この木も、もしかしたらどこかの家の建築材だったものかもしれない思い出の品だ。
 申し訳なく思いながらも燃やす。
 仲間の一人が高台に住んでいて家が津波から逃れることができた。
 皆高台から町を見下ろすだけで濁流を脳裏に浮かべて言葉を失う。
 何かを言おうものなら先に涙が出そうになってくる。
 そんな中仲間がなまず先生のためにお酒を持ってきた。
「気分じゃないかもしれないが」
 と添えながら出してきた。残りの一本らしい。
 皆無言でコップ半分ほど入れて飲みだす。なまず先生と同じようにチビリチビリやりながら、酔っ払わないようにするかのように、少しずつ少しずつチビリチビリやる。
「笑おうか」
 突然なまず先生が立ち上がって言い出す。
 ドラム缶の炎にあぶられているかのように見えるなまず先生に「いや、さすがにそれは」と言う人もいたし、何のためかわからず不振がる者がほとんどだったが「無理でも、笑おう」と今まで見たこともないような目でギリっとして見据えると、仲間も黙った。
 なまず先生が大きな声で腹から笑い出す。
 それは可笑しくて笑うのではなく、演技のような笑いだった。
 精一杯腹に力を入れて「わっはっはっは」となまず先生が笑い出すと他の仲間も真似をして無理やり笑ってみる。
 座っていると腹に力が入らないので、ドラム缶を囲んでいた仲間は皆立ち上がって笑い出す。
 すると不思議に涙も込み上げてきて、声も顔もぐしゃぐしゃになりだすものもいたが、なまず先生が「笑うんだ」と掛け声をかけると、ぐいっと顔をあげてその仲間も涙や鼻水まみれで「わっはっは」と笑った。
 周囲には刺すような視線も少しはあったけれど、なまず先生のことを知っている人がほとんどだったので責める人はいなかった。
 笑い終わった後、皆泣きながら抱きしめあった。
「ありがとう」と口々に言いながら涙も乾ききらないくしゃくしゃの顔で強く抱きしめあった。
 それまでは正直なまず先生のことはあまり好意的には見ていなかった。
 でもよくわかった。なまず先生のような存在は、皆の心に必要な人なんだと。
 寒い夜、毛布しかない中、今日は少しだけあたたかな気持ちで眠れると感じた。

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03/28

Mon

2011

 口の中にまで錆びた鉄の苦味が染み渡っていきそうな気分だった。
 これから一体どうすればいい。
 目の前に広がる瓦礫を見ながら感情すら抜け落ちた理性がぼんやりとここに立っているようだった。
 昨日まであった物が一瞬にして瓦礫になる。
 昨日までいた仲間が見つからなくなった。
 津波の後の瓦礫の鉄はわずか一週間も経たないうちに錆びだしている。
 奥歯で錆びた鉄の粉を噛むように、ギジャリと妙な音を立てそうだ。
 張り詰めすぎた悲しみが麻痺した感情の中で膨らんで破裂することがない。
 自分の人生は今まで一体なんだったのか。
 すべてが消え去り、何も残らなかった。家族さえも。
 たった一人残されて、どうすれば。死のうにも死ぬ場所すらも残されていないほど、すべてが死にあふれている。
 生存していくことすら無意味に思えてくる。
 冷たい雪が頬をかすめても、冷たいとさえも思わない。
 これが、現実かと、長い夢の中に引き込まれて二度と出られなくなったかのような気持ちでいた。
 家を探す。
 誰かと一緒にいても映像を見ているような、非現実感にたまらず家を探そうと思い立った。
 家。家だ。家はどこだ。
 瓦礫の中を歩く。嗅いだことのない朽ちた臭いが満ちている。人さえも見えない広大な瓦礫の凹凸をちっぽけな人間が放心しながら歩く。脳裏には家があるのだと強く信じて。
 大量の流木や積み重なった車や泥まみれの布や靴や海水のたまった場所がたくさんあり、ぬかるんでいる。足を取られながら目指す。
 家。家を。家はどこだ。
 息が切れる。自分は生きているのだろうか。まるで体が別人のもののようだ。
 足を取られているのは自分か。この瓦礫はなんだ。
 目印になるものが一切なくなった。どこを歩いているのかもわからない。
 壊れて積み重なった家屋の二階の屋根に登る。一階は流されてどこかもわからない。
 どれほど歩いたのか、どれだけ進んだのかもわからず振り返ると、それほど進んでいないことに気がつく。
 ため息と共に疲れがどっと出るようだった。
 海はずっと向こう側だ。むき出しの鉄骨になった三階建ての建物が見える。
 あれはきっと役所だった建物に違いない。前は周囲に建物があって自分の家からは見えなかったが、今は目印のように瓦礫の上にぽつんと骨組みだけ残し建っている。
 方角と距離感をじっと役所を見ながら想像する。自分の家があったのはここら辺なのではないかと足元を満遍なく見る。
 泥の中の水溜りが揺れる。太陽の光が反射したように思った水溜りの中に何かが見える。
 水溜りを覗き込むと自分の顔が映っていないことに気がついた。手をかざしても手は映らない。
 訝しがりながらも水溜りの奥を覗こうと顔を近づけると花の匂いがした。
 すっと息を吸い込むと花の香りが肺を満たしていくようで、生の純水がひび割れた地に流れ込んでいくような気持ちになり目を閉じて花の咲いている野を思い浮かべた。
 目を開けると水溜りの中に三輪の赤い花が映っていた。
 水溜りの中に手を伸ばしていくと手は水溜りの中に入り映っている花へと届いた。大きな花の両方に小さな花が二輪咲いている。
 その花を喉の震える体でめいいっぱい撫でた。傷つけないように、触れすぎないように。
 ぐっと息を強く呑み込み、水溜りから手を引く。涙がボタボタと落ちだして水溜りに落ちて自分の顔を映す。波紋は何度も顔を歪めている。
 不思議と花の匂いだけは体を満たしていた。何もかも流れ落ちた体の中に花の香りが満ちて、ただ一点の生を形作ろうとしている。
 空を見上げて呼吸をする。瓦礫の臭いがもうしなくなっている。
 涙を両方の手の甲で拭って地に払う。
 瓦礫の山を歩き出す。元にいた場所に戻るために。人のいる場所へ戻るために。
 花の匂いはいつまでも脳裏に満ちていた。

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02/16

Wed

2011

そもそも自己責任論ってどこから言われるようになったのだろう。
昔からあったようにも思うし、少なくとも親の世代がそうだったので、私が生まれる前からあったのかもしれない。
それが時代が大きく変化してきて、対応しきれずに人同士の衝突を起こしていると考えるのが素直な見方なのではないだろうか。

私は正直、この「自己責任論」がよくわからない。
これを追求してしまうと、現在の日本社会の困窮はまさに我々の選択の末に起こっていること。
その上で「選択したものが責任を負うべき」を厳密に考えるのならば、この社会の責任は上の世代の責任なのに、「自分たちが大きく誤っていました」という声はあまり聞かない。

そして「自己責任論」を持ち出す最も顕著な特徴は「彼らが悪い(おしまい)」だ。
つまり悪いものがあったとしても現状に沿った形で打開策を考えるのではなくて、問題そのものを切り捨ててしまう。
酷い場合は知識で問題説明をし、そして終了する。
それ以上何かがあるわけではない。
私はこの姿勢こそ、今の酷い状態を引き起こしているのではないのかと勘ぐってしまう。
つまり問題があっても、それを共有できずに最後まで他人事として扱う。
自分は自分の生活として成り立たせたいので、「シェア(共有)する」という意識がまったく育たない。
だから自分の身に切実に降りかかった時にしか問題として捉えない。
なぜだろう。
いかに高尚なことを言おうと、もっともらしいことを言おうと、たとえば私が外国にいたとしたら「日本人って社会を共有せずに私物化しているのだね」としか見えない。

悪いものがある。
それは自己責任。
おしまい。
それではただの「個人主義」しか育たない。
そして改善もされず末期状態になり、文句を言う。
そして毎回言うだけで終わる。
「だから言っただろ。お前たちがやらないからだ」と。
永遠にこの手のやり取りを馬鹿みたく続けるのだろうか。
どこかで断ち切ろうと思わないのだろうか。
自分たちの次の世代に少しでもよい社会とよい精神を残そうとは思わないのだろうか。
こういう憤りを持っても、この日本では通用しない理屈なのかな。

一日一声、たった一人だけ、気軽に声をかけたり、ほめたりするだけでも充分なのに。
「分かち与えよう」という精神が育たないのはどうしてなのだろう。
こういう社会を選んだから?
だからといってこのままでずっといかなければならないということにはならない。
知識があっても知恵がないようでは困るし、知恵を生かす勇気がないようでは、人情がない。
人情が薄いと「薄情」という。
「薄情」な社会を作って、まともに社会が維持できるとでも思うのだろうか。
必ず人が人を利用しあう社会ができあがる。
殺伐として、人を容易に信用できない社会ができてしまう。
そういう社会にしたいのだろうか。
私には、今の大人たちが何を考えているのかよくわからない。
そして、本当に薄情な社会を選び取りたいのなら、もうこの手の問題を考えて、解決策を模索していくのはやめようと思う。
だって、必要ないものね。
必要とされていないものを無理に組み込もうとすることはない。

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02/16

Wed

2011

2月11日NHK「無縁社会」放送内容についての意図的偏向

http://getnews.jp/archives/99251
NHKスペシャル『無縁社会』に出たニコニコ生放送ユーザーが語る“演出への違和感”

もはや「ドキュメンタリー番組」として「ドキュメンタリー性」が維持できないのなら、もうこの番組をお止めになられてはいかがでしょうと感じた。
取材する側に、公正な取材能力がないのなら、それは単なるシナリオ通りの「ドキュメンタリー風ドラマ」である。
これでは番組作りのために人を利用したと思われてもしょうがない。
そしてそれはドキュメンタリーを作るうえで取材者が絶対やってはいけないこと。
信憑性がなくなるから。

本当に悩んでいる人たちに対して、失礼極まりない。
私は札幌での座談会に出席させていただいて、「東京で長年仕事をしてきて、地縁が薄れ北海道に帰ってきた時には友達もおらず孤立しており、仕事もこちらではあまりなく、困窮している」という事情を持った男性の顔を今でもはっきりと思い出す。
悲痛で鎮痛で、眉間にしわがより、終始悲しみにあふれた硬い表情をしてうつむいて、目を合わせるのも辛いようでいた。
私はあの人の顔を絶対忘れない。
私も人と目が合わせられないような辛さ、自らのネガティブスパイラルを体験しているから、すべてとは言わないまでも、あの精神状態がどれだけ深刻なものかよくわかるんだ。
果ては自殺するかもしれないのに。
なぜ、ああいう人の気持ちを真摯に受け止めて、きちんとした取材ができないのか。

心底失望すると同時に怒りさえ覚える。
何に惑わされたのか。視聴率だろうか。それとも放送期日の締め切り?
放送日があらかじめ決まっていて、取材内容の充実を放送日まではかることができないのなら、無理に放送することはやめるべき。
それぐらいの勇気と真剣さがあってもいいのではないのか。
ドキュメンタリーの鉄則は、取材者が主観をさしはさまず、偽りのない事実のみで構成されるということだ。
なぜ、こんな結果にならなければいけないのか。
何が原因なのか。

もはや公共の電波で放送してしまったのだから、きちんと番組内で謝罪するべきだと思いますよ。
「無縁」を取材する番組で、人そのものを軽んじるなんて信じられない。

P.S.
http://getnews.jp/archives/99255
ニコ生視聴者の83.6%「無縁社会は他人事でない」

 「無縁社会」取材のきっかけは何だったのか。板垣記者の場合は、ある件で取材していた失業中の50代男性と突然会えなくなったことだった。あちこち探してまわると、炊き出しのボランティアが「探してもムダだよ。もう『行旅死亡人』になっているよ」と言う。以後、板垣氏はネットで公開されている「官報」を調べるようになった。そこには身元がわからず引き取り手のない遺体、「行旅死亡人」の情報が記載されているのだ。「人間って最後は、官報の記事数行で終わってしまうものなの? と寂しさばかりが募った」と、板垣氏。この「無縁死」との関わりが、無縁社会を考える契機になったと語る

元々の取材の原点はここにあるのではないのですか?
今一度自らを見つめなおして、ここへと回帰していただきたいと思う。
「自分は生きていてもしょうがない」という思いを抱かせないために、すぐにでもできることは何なのかを考えるのが一番大事なのではないのか。


ちなみに、ここでの意図的な偏向とは「無縁状態だとは思っていない人間たちを、あたかも無縁状態だったと報道していること」です。
あとは取材者と対象者との情報開示の取り決めになるので、番組内容での意図的偏向とは少し違うことを追記。

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02/14

Mon

2011

2月12日21時からのNHK「無縁社会討論」

書くのはよそうと思っていた。
思ったとおりの流れというか、何を話し合っているのだろう、という印象。
今回は若者を中心にした討論会。
でも、本当に「無縁」について話しているのだろうか。

主題が「働く」ということにおかれ、あたかも「雇用問題」に関係することがクリアになれば無縁は解消するかのような流れ。
現実問題として経済のことは個人ではどうしようもないし、政策のことだってもっと多くの人間が賛同しないと政治家は動かないだろう。

少し極論に聞こえるかもしれないけれど、無縁の問題は「お金の問題」とは分けて考えるべきなんじゃないかと思うんだ。
当然生活するにはお金が必要で、生活のゆとりを得るにはある程度の生活の保障が必要だと考えるのが普通。

しかし日本人は元々「お金がなくても成り立っていたコミュニティー空間」を大事にしていたのではないのかな。
経済社会に生きるからこその「お金の問題」であって、それは「無縁」を感じる「コミュニティー空間の問題」とは別なのではないのかなと考えている。
だからこそ、言いたくなる気持ちはわかるけれど、お金のことに重きを置くと、議論が当然堂々巡りになるのは目に見えている。
それは「個人ではどうしようもできない問題」が絡んできて、それがある限りはその問題について解決しない言葉のやり取りを永遠にやり取りすることになる。
この手の問題は「無縁」の問題とは違うのではないのかな。

※この点に関しては詳しい記事がありました。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51677145.html
池田信夫 blog : 「無縁社会」キャンペーンの恥ずかしさ


一番最初の番組では「地縁」「家族の縁」「血縁」など、「縁」に重きを置いて、「縁が切れてしまう現状がそこにある」という趣旨ではじめたのではなかったっけ?
今番組スタッフは何を見ているのだろう。

若者の問題でも仕事があれば、生活が保障されれば、家族の縁や地縁は回復するの?
寂しさや孤立感や孤独感が仕事があることで解消されるのかな?
じゃあ「縁」ということを考えていけば、仕事に携わることで「縁」はできるわけですよね。
じゃあどうして仕事やめた途端「縁」が薄くなっていって最後には切れてしまう人がいるの?

個人が会社というある一種のコミュニティーに関わっていて、それがなくなった時の代わりとなるコミュニティー空間が存在しないというのが問題なわけですよね。
無縁の問題は肥大化する。
それは容易にわかる。
しかしそれは雇用や現在困窮している生活の解消では到底まかないきれないし、これは本当に今見ている経済的な問題なのだろうか。
もう一度原点に返って「縁」の問題を見つめなおさないと、本当に取り留めのない状態が永遠に続くことになる。

話は変わるけれどネットについては完全にそこに重きを置くことは危険だと考えている。
当然これはひとつのツール、道具であって、道具に依存してしまうような社会ではいけないし、当然五感を使わないことによって起こってくる弊害がある。
道具は「補助」でなければいけない。
ネットの力については私も実感しているし、絶対会わない人間と知り合って会ったり、何かと支援してもらったり、仕事もしたりしている。
これからもそういうソーシャルコミュニティーを含めネットで繋がっていく人同士の可能性は広がっていくだろうけれど、人間は生物としての感覚を麻痺させては少々難が出てくると推測している。

人は最後には五感を通じて何かを感じたい欲求が出てくると思う。
だから肌身で自己肯定感、その先にある安心感を得られる空間がほしいのだと思う。
雇用の形態は事業者が意識を変えない限りは不可能だし、法律で保障されているはずの労働者としての当然の権利を行使すると、たとえば有給で一ヶ月旅行とかすると、会社にいづらくなるという大変不可思議な職場意識だって変えていかなきゃいけない。
しかしこういうひとつひとつの意識改革というのは経済的な事情が絡んでくるとどうにもできないのではないのかな。

それよりも、私たちが互いの価値観を大事にし合えて、同じ地域に住まう人々が集えて笑いあえる地域づくりって、どういう風にすればいいと思うのか。
ほっと一息つけるような空間作りはどうすればいい。
それでいて私たちは「都市的な特性」、つまりは「個人の価値観が最大限に尊重される状態」を維持しなければいけない。

世の中には足が早い人もいれば遅い人もいるように、精神にも差がある。
世には「こうすれば成功する」というプログラムがあって、それには難しいことが書いていない。
でもできない人がいる。
否定されることによる陰鬱さ、よくわかりますよ。
私だってネガティブなところから抜け出て、少しだけポジティブになるまで15年かかったからね。
この日本の閉塞感は否定されても、抜け道が小さいってことだと思うのですよ。
私はアメリカにいた時、ホームレスになっても抜け出せる、という不思議な感覚に包まれた。
路上で三味線でも弾けるようになれば一日食っていける。
そう感じた。
でも日本では落ちても才能があれば這い上がれるという気楽な感覚はもてない。
何かの瞬間に否定され、バッシングされ、陰口を叩かれるような、嫌な不安感や恐れがある。
それはアメリカでも同じだったのに、何が違うのか。
「前向きな逃げ道を模索していける」ということではないのかな。

大人も若者も、この都市化社会にあって「こうでなければならない」というような論調は互いの未来を狭めるだけ。


P.S.
ちなみにイケノブさんのブログの内容、ちょっと断言しすぎでガチガチだけど、話半分くらいで読むと、ちょうどよい中間地点で着地できそうな感じですよ。
日本には日本人にあったやり方があるのではないのかな。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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