かつて私たちは「密会」をしていた。
暗闇の中の自然の光の中で、心を打ち明けあっていた。
灯篭や行灯や提灯の薄明かりに照らされながら。
京は、その「密会」によって歴史が動くことが多かったことだろう。
陰謀を張り巡らすものたちは獣のように息を潜め、周囲の物音に気を配っていたであろうし、男女の間においては語られぬ数多くの恋物語が生まれては消えていったのであろう。
烏丸駅近くのビルの中にあった観光案内所で偶然出会った学生さんの案内で知ることになったこのイベント。
大きな祭りではないが、一区画ほどのメイン会場に清水焼や切子ガラスの器の中にキャンドルが灯されている。
清水焼は高価なものもあり、焼き物の灯篭にいたっては現役作家が無償で提供しているのだそう。
作家と地域と人を繋ごうという狙いがあると言っていた。
京都橘大学の学生と教授が一体となって山科区を巻き込んでイベントを企画するという試みで、会場のスタッフにも学生さんを見かけることが多かった。
日本という国は世界の中でもひときわ明るい。
宇宙から日本を見たとき、他の国にはないほど輝いている。
私たちは「明るさ」を追ってきた。
たくさんの電気を使い、便利な世の中にし、そして「明るみ」のある人間を求め、「暗闇」を押しやっていった。
表現という領域においても、「明示」され、わかりやすく、面白く、「秘密」めいた表現は避けられ、観客に考えさせるようなものが徐々に少なくなってきている。
「密会」には、人様に打ち明けられないような暗いイメージが付きまとう。
明るくない人間にはやましいことがあるのでは、と疑われるくらい私たちは「明るさ」を信じている。
無駄に「暗闇」に想像を膨らませ、余計な詮索をしなくてもいいように。
例えば『ゲゲゲの鬼太郎』という水木しげるの代表作品がある。
昔のアニメは白黒なのはしょうがないが、何度もリメイクされて最近も放送された。
その放送を見たとき、年代を追うごとにハイトーンになっていることに気がついた。
現代版は「暗色」が避けられ「明色」が主に使われているのだ。
現代人はあふれ返った情報の中から想像を「編集」している。
明示された情報の中から切り貼りして物事を理解しようとしている。
「暗部」と言えば、「よからぬ部分」という意味だ。
都会では夜空の星さえもよく見えぬほど明るいため、星を美しいとはなかなか思えない。
「暗闇」には「秘密」がある。
心理的にも明るいより暗い方が互いが密着しやすくなるし、不思議と打ち溶け合ってきて秘密を打ち明けたくなる気持ちがふわふわと浮き出てくる。
うまく見えないからこそ、たくさんの想像力をかきたてられるし、キャンドルの灯りで浮かび上がる陶器から、作家が何を思って作ったのかを様々な角度から考えさせられる。
光を通じて陶器が密やかに語りかけてくる。
芸術には想いがあるし、祭りには心がある。
おそらく古今東西「暗闇」と「不安」はセットで付きまとっているものだろうと思う。
「秘め事」もそう。
人間が最も想像力を働かせるのは「恋」と「恐怖」だ。
月明かりに浮かぶ波紋は「恋」をしていれば美しいと思うし、「恐怖」にかられているのならば気配として恐れる。
キャンドルの中に浮かぶ人の影を見ると、どこかほっとし、新しい出会いがあるのではないかと期待する。
暗闇の中に浮かぶ自然の明るみは、人のあたたかさと同じくらいの明るさではないだろうか。
見えていても見えないものがたくさんあるのが人で、しかし見えないからといって冷たいというわけではない。
本当の「物語」は、「暗闇」の中から数え切れないほど生まれる。
「語り」と「騙り」は同じだから。
今年のテーマは「かぐやひめ」だったそうだ。
書も学生さんたちが用意したもので、暗闇の中でストーリーを追えるようになっていた。
私たちは「明暗」の中にいる。
それは命というものを使って歩んでいる、この今でこそ「明暗」なのだ。
「明暗」があるから「尊ぶ」気持ちも生まれるのだろう。
たくさんの想像力の中に、また新しいストーリーが生まれることもあるし、新しいストーリーの中で、たくさんの想いが生まれるのだろう。
懸命に学生さんたちが企画し、小さな会場では生演奏も聞けて、ついつい酒に手を出しほろ酔いで歩いた秋の一日。
美しき密会をさせてもらいました。
よい出会いをしたことに感謝です。
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