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太宰治の「人間失格」をベースに現代版に修正したもの。
現在パブーというところで公開中ですが、書いた作品があまりにも太宰よりの文章になっていて自分の色が見事に消されているという大きな欠点を抱えているため、いつか全部コーティングしなおして世に本格的に送り出そうと考えています。
最近、NHK特集で「無縁社会」というテーマで「孤独死する老人」と、その背後関係を辿っていくにつれて、ようやく「社会のみならず家族でさえ絆が薄れてきている」という実態が浮かび上がっています。
数学的な統計によると、自殺者と経済の関係は密接に関わっていて、雇用などの労働者の整備を行うことにより年間5000人の命が救われるという計算がなされているようです。
しかしたとえ5000人、定額給付金20万円で老人さえも救われたとしても、現在3万人自殺者がいますから、どう多めに減ったと考えても、おそらく年間1万人を切ることはないのではないかと考えています。
また、この自殺者の統計というのはトリックがあり「完全に客観的な自殺だという証拠がある場合のみのカウント」となっており、自殺と断定できない死亡事例は10万件にも及んでいます。
これは解剖医など、検査をする医者の不足といろいろな問題をはらんでいますが、まずはっきりと言えるのは「経済問題だけでは解決しない問題が沈んでいる」ということです。
現在世界経済の不安定さのあおりを受け、日本の雇用情勢が根底からぐらつき、経済問題がそのまま自殺者への問題へと派生していると社会的な認知がされております。
このように単純図式化するのは簡単で、問題もわかりやすいのですが、一番注目すべき点は「子供がいるにもかかわらず、無縁仏になる場合がある」という歴然とした事実です。
この「家族」の問題は、極限化しない限り表面に出てきません。
つまり「最後の最後」になって、ようやく「引き取り手のいない無縁仏」となって表面化するわけで、お分かりの通り、これは単なる「結果」にしか過ぎず、「すべてが終わった手遅れの状態」であります。
現在NHKが今年の始めあたりから特集を組み「無縁社会」と題して、現代社会の中で暗然と変化してきた「社会の絆」を浮き彫りにしています。
そして、ようやくおぼろげながらに「家族」という問題にまで光が当たりつつありますが、それもまだまだ「経済さえ回復すれば、雇用さえ確保されれば、なんとかなるのではないか」という客観的な考えを持つ人は多いかと思います。
私があの特集でよく着目していただきたいと思っているのは、家族と密接な関係にある人には信じられないかもしれませんが、「年老いた親や兄弟と長く連絡を取らなくてもまったく気にならない子供や身内がいる」ということです。
「家庭内の問題」というものは、いきなり一日二日で変化するものではありません。
長年積み重なって、その延長線上で互いの関係があるということなのです。
ですから「問題になっていない問題」や「家族内のコミュニケーションのとり方」、つまり「家庭内に内包されていた問題」が、そのまま社会人となった子供に反映され、そして親と子供がそれまで取ってきたコミュニケーションが維持され、そして最後に「親の孤独死」という事態を招いているのではないかと私は推測するのです。
社会が、この「家族の中」にまで焦点を当てることは難しいことです。
他人の家族は文字通り「他人事」として我々は捉えているところがありますし、いくらニュースで義憤にかられたとしても、実際にコミュニティー活動を通して地域の問題を積極的に解決しようとする人は、はるかに少ないのではないかと思うのです。
そしてまた、非常に家庭内のプライベートな問題に他者が入り込むのが難しくなってきているという現実問題もあります。
その「プライベート」という大きな壁が、内部を完全なブラックボックスにしている。
だから余計に「家族が持っている問題」というのは「末期」にしか表出してこない。
私が書いた作品も、家族と個人を焦点に書いていますが、自分でも結果的に何を示したのか、まだ理解していないところがあります。
ひとつだけ言えることは、この小説が非常に「主観」に立って書かれているものであり、そして互いの気持ちは最後まで「クローズ」になっていて、一度も「本音を打ち明けていない」し、本音を打ち明けたのは「死ぬ間際」だということです。
このことは非常に大きな意味を含んで、ひとりでに走り出すでしょう。
いずれは社会が「家族」という問題にまで行き着くのは時間の問題なのではないかとも考えています。
あと3年か4年後くらいには、私が書いた小説も、ようやく表舞台に社会の問題意識として出て行くことができるのではないかと考えていますが、それまではここに眠り続けているでしょう。
これから未来、ようやく「誰もが問題だと思っていなかった問題」が「社会問題」として大きく立ちはだかるようになるでしょう。
「絆」はもちろんのこと、「多様化した都市社会での生活スタイル」にまで問題点が及ぶかもしれません。
「都市機能における人間生活上の欠点とは何か」という大きな視点と、「個人はいかに他者との距離感を取っているのか」という小さな視点の二つから、浮き彫りになってくる「問題だと思っていなかった問題」が表出してくるのは時間の問題です。
いや、「都市」であろうと「村のような価値観」が保持されているという日本人特有の考え方が浮き彫りになるかもしれません。
私たちは気持ちを非常に閉じた状態で互いの関係を築いています。
意外と思われるかもしれませんが、会社の愚痴や生活のレベルの話ではない、もっと突っ込んだ話をできる仲ともなると、なかなか少なくなってくるのが現状なのではないでしょうか。
「本当の絆とは何か」に答えを出せということまではしないにせよ、もし社会から心理的な要因によりドロップアウトしそうな時、サポートしてくれるコミュニティーの存在がないというのは、常に現代人は「背水の陣」で生活を送っているということになります。
これでは漠然とした不安感はいつまでも取れない。
本当の問題は「金」とは少し違ったところにも存在するのではないかという認識が、少しずつ広がっていけば、この日本の人たちのあり方も、変わっていけるのではないかと安易にも考えるわけです。
とにかくこの問題は、一面的に見ればすぐに判断を誤る。
その裏があり、裏の裏、表もまた大事であり、表裏一体の問題が複雑に絡み合っているという現実に、少しずつ社会的な認識が深まっていく時代が来るのを待ちながら、私は作家としての力を蓄えることにします。
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