空気の抜けたバスケットボールでドリブルしているようなランニングだった。
足が折れてから五ヶ月は経ったが、急激な圧を足裏にかけると妙な違和感が走り、足取りが止まってしまうことが多々あっただけに、ほとんど歩きに近い速度で走っていた。
というのも、酒太りが酷くお腹もまた空気の抜けたボールのようになっているため、さすがにまずいと感じ運動し始めているのだが、さすがクズの精神では、ことあるごとにストレスの発散を酒に頼り、挙句の果てには食うという始末で、せっかく痩せた体重を引き戻すということを繰り返していた。
今年に入ってからというもの、三月頭に足を折り、その衝撃で流されている人生を少し変えようと仕事を減らしたが支払いで精一杯で様々なものが立ち行かなくなった。
だがむしろ、現在の「書くしかない」「創るしかない」という状態こそ大事なのであって、変に金を手にして、何かと理由をつけフラフラと夜出かけるよりかは、ずっといいし、そして今年できなかったらもう正直終わってると見ていい。
不思議な事に、と言っていいのだろうか。世間からは絶望的な人生を歩んでいる人間の元にも人が集まり簡単ながらゲームも創れる環境ができ、ラジオドラマだって創れるのだから、妙、と表現していいのかもしれない。
文章だって他人に見てもらえるし、シナリオも書けるし本も読める。でも寄生生活で成り立っているそれも終わりにしないといけない。
百メーターほど走ったところで左足を庇っている右足に力を入れながら走っていることに気がつく。太股が張り出している。
なんとか左足に重心を傾けようとするが、癖がついているのか、やはり無意識に怖がっているのか思いっきりはできない。
となると、速度を落としていくしかない。
ようやく夏の激しい往復ビンタのような猛攻が疲れを見せたのか、朝の気温も下がり気味になり過ごしやすくなってきた。
今頃がちょうどいいランニングの時期なのかもしれない。
途中、手をしっかり繋いだ白人夫婦に「おはようございます」と声をかけられた。幸せそうな一風景だ。
そういえば昨日借金をしようとして、断られた時にも結婚二年目のかわいさ残る男性に相手されたんだっけ。
「わりと新婚の方ですか?」
「ええ、まあ。どうしてわかったんですか?」
(見た目の若さと、擦れてない感と、幸せそうな顔をしているから)
とは言えずに微笑ましく眺めていた。
収入が少ないから、金は借りられないという。
骨を折って仕事が出来なくなり治療期間中に一気に蓄えが消えていったが、考えれば当たり前。だが次の日、いや、次の瞬間怪我をしたり事故にあったりなんてことは考えないし、どこかで「まだ生きていられるんだ」という温く溶け出したような死生観で毎日を過ごしていたものだから、いざという時一気に窮地に陥る。
ある意味この状況に強制的に引き寄せられたのも天の思し召しだし、戒めのような意味を与えてくれたのだろうと考えている。
ビルのガラスに映る腹の出た男が重そうに肉を引きずっている。
醜い姿だ、と思った。
人を従えているのだから、もっとしっかりしないとなと痛感させられる。
前を歩くおばあさんにさえ満足に追いつけないほど遅い走り。もはや走っているとも言い難い。
ベンチに座り流れる汗を拭きながら、手を繋いでいた夫婦や昨日の男性を思い出す。
幸せっていいものだな、と。
幸せ。この意味を惰性で流し続けるのではなく、きちんと体や頭の中に蓄えながら過ごしていかなければいけないなと考え始めていた。
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