誰かに対する嫉妬や不満や鬱憤が心の中で暴走する時、自分は酒に頼ったりするが、タバコ、暴飲暴食、最低の人は暴力的な事に頼る人がいる。
以前デスクの仕事で面接してくれた上司が2人とも見事に太い方で、きっとこの仕事、相当ストレスが多いに違いないと直感したものだ。
逆に体を動かす仕事で痩せすぎているのも危ない。
それは充分な栄養を取れず体を酷使しているということだろうから。
タバコを止めると太る、とよく言われる。
ストレスが溜まって食に走ったり、味がわかるからよく食べるようになったり。
私はタバコは吸わないのでよくわからないが、結構な割合で聞く。
どうしようもなく私は心が弱く、自分で自分の心を上手くコントロールできない。
物凄く小さなことにこだわり、そして世界観が狭くなり、やがて身動きが取れぬほどイライラしてきて、そして心の痛みから酒を煽る。
かれこれ10年近くそんなことをやっているような気がする。
先日台湾で学生たちがデモを起こした。
国を憂い、そして非暴力での解決を望もうとする姿勢に心打たれた。
最初は数百人規模、ということらしいが、それでもその活動を20ちょいの大学長が認め、医師など大人も続々と参加したというのだから、学生たちの浅はかな主張というわけでもないはずだ。
民主政治とは自分たちで自分たちの行く先を決めていく政治。
台湾の民主主義は1996年からだそうだから、まだ20年も経っていない。
それでも彼らは自分たちの政治体制と、そして祖国に対して誇りを持っている。
だからこその行動だ。
そんな彼らのことを思うと、なんて自分はちっぽけな事で苛立っているのだろうと自嘲気味に笑ってしまった。
そんな乾いた笑いが、自分の心の狭さを引っ叩くようだった。
私は心を上手くコントロールすることができない。
そしてそれは他人も一緒だ。
他人がたいしたことないということで腹を立てたり絶望感を抱いたり、苛立ってしょうがなくなったりする。
そして、その苛立ちは物理的ではない、大なり小なりの暴力的表現となって他者へと向けられることになる。
かつて私は人を救おうとして失敗した。
自分の弱い心に負けたんだ。
一区切り付いて無力さを知った。
その自分の無力さから、私はもっと大きな力を得ようと思った。
もっと自分に強くなろうと思った。
そうすることで、自分が望むことも実行できるようになるだろう、今は様々な壁がありすぎてとてもじゃないが理想を語っても何一つ実行できない。
大きな壁を眼前に見て、その壁を少しずつぶち破る、というよりも削って穴を開けようとしている。
壁が全て壊れなくてもいい、ここを通れる穴さえ開けばいい。
それぐらいの気持ちでせっせとやっている。
他者に対するフラストレーションならず、自分に対するものが最も大きいかもしれない。
理想には遠い。
近づいても近づいても遠くなっていくような感覚。
それでも一つずつ一つずつやろうとする。
10分の1さえも実効できていないし、日付だけが虚しく過ぎる現状に焦りと怒りさえも覚えてしまう。
何やってんだ。
怠惰すぎるだろ。
頭でやらなきゃいけないのにと理解しても、苛立ちが止まらなくなり、酒を飲んで時間を浪費する。
こんな繰り返しだ。
正直言って馬鹿すぎる。
そんな人間が偉そうなことを言うのだから失笑してしまう。
さて、ひとつ気が付いたことがある。
それは私がとんでもないエゴイストだってことだ。
小西湧之助の言葉にあった。
「何を書いてくれじゃなくて、書きたいもの書いてよっていう。自分の年で書けるもの書いてよっつったの。モノ書きっていうのは、みんなある意味じゃエゴイストだし、だってそうじゃなきゃモノは書けないでしょ。ナルシズムに近い自分に対する自己依存がなかったらモノは書けないでしょ」
これほど端的に物書きを表わした言葉には出くわしたことなかった。
それと同時に、私生活でもエゴイストだった。
気が付いたことで、何かが変わるわけでもないし、自分のダメな行動を正当化するつもりもない。
ただ、そのエゴイズム、ここに居続けるにはとても必要な事なんだ。
そして底に沈んでいる暴力性も、ここに居続けるにはとても大事な事。
表現上の中でとても優しい形で昇華されることもあるし、理不尽な形で出てくることもある。
出てきたものを組み立て上手く行った時は幸せだ。
こういう幸せは普通の人にはわかりづらい。
人には人の幸せがある。
不満を感じるように当然幸せだってある。
その千差万別な幸福感には他人には入ることはできない。
せめて共有できなければ、そっと微笑ましく見守るしかない。
そんな小さな幸せがあったりもする。
台湾の学生たちは、個々人の小さな幸せを守るために、大きなものに立ち向かっていった。
全世界に訴え、自分たちの正義を示した。
彼らは決して自分たちだけのことを考えたわけではない。
自分の幸せだけを守ろうとしたわけではない。
そんな素晴らしい人間があの国にいるのだと思うと、感動すら覚える。
心の暴力性を見事な正義感へと昇華したのだ。
敵は一体どこにいるのか。
幸福とはどうあるべきなのか。
個の幸せを考えるあまり、他人に対して嫌なやつになってるんじゃないか。
そう自分を思い返した。
もう少し自分を考えてみよう。
このエゴイズム、使い方を間違っている。
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