ちょうど一年前、バイト先で40代の男の人がいて、随分とやり込められた。
こう見えてもだいぶどんくさく、人をイライラさせるほどのスローモーションらしい。
だからついていけないことがたくさんあるし、注意もたくさんされる。
自分を変えようと思って必死に動いていた時期。
精神的にやり込められる理不尽さにだいぶ体重も当時は落ちた。
40代の男性は気分屋で、中傷も入る注意をする。
だからこそバイト連中にも評判は悪かった。
「恨まれ役になるならそれでいい」
とは本人言っていた。
お店が閉店となって自分は辞める形を取ったが、偶然家の近くのバイト先が同じ会社がやっていたところだった。
おかげで社員さんの顔も何人か知っている。
半年前、まだまだだった人に仕事場で再会した。
随分と立派になっていた。
台湾系のオーストラリア人で日本人の奥さんと子供を持っている。
それなりにやってきたんだなということがわかった。
その人も自分と同じように、その男性にやり込められていて、自分の場合は途中で一緒に飲みにいってご機嫌取りをしたらコロっと態度が変わって好意的になったので過ごしやすくなったが、オーストラリア人にはどんどんエスカレートしていった。
最後には口だけではなく暴力をふるうなどの横暴さだった。
今のバイト先に入り、社員さんからも相当評判の悪い人だったのだということがわかった。
そして先日、オーストラリア人とその人ことで話題になり、その話を聞いていた社員さんが「ああ、この前電話来たよ」という話をしてくれた。
「なんかさ、最初公衆電話からかかってきて、なんだろ、嫌だなと思って出たらソイツだったの。携帯電話って電話料金高いでしょ。だから話している途中ですぐ切れて、またかけ直してきて、それが何度か続いてさ。働くのに、うちの会社で働いていたっていう証明だか必要で、書類が欲しいから会社の電話番号知りたいって。家賃も滞納しているって言ってたわ。いいやつだったら助けてやろうって気も起きるけどソイツは一切そういう気起きないもんな。乞食みたいなもんだよな。お金貸してくれって言われても絶対貸すんじゃないぞ」
因果応報。
自分のしたことは必ず自分に返ってくる。
自分の場合でもそうだし家族を見てもそう思ったことが、またここでハッキリと証明される形となった。
いや、この人の場合当然と言えばそうだ。
自分がなにに守られているのかわからない人間は、当然他人の嫌悪感の中で潰されていく。
酷い言い方をすれば寄生とか依存とか、そんな言葉で言い表せるのだろう。
ある人が私がその人の気分を害しているのはその人の人格をすでに自分から阻害しているからこそ嫌味なの何ナノを言われると指摘されたことがあるが、そもそも、人間的にあまり感心できないタイプであることは当時の自分でもわかっていた。
でも当時は自分のただの我侭なのかもしれないという気持ちもあったから判別がつかなかった。
でもハッキリわかった。
調子に乗る。思い上がる。傲慢になる。横暴になる。
自分の立場を勘違いするものに未来はない。
でもね、どうしてか、そういう弱い人を見ると何故そうなるのかということが凄く気になる。
でも、本当にどうでもいいことなのだろう。
自分の状態をきちんと分析できない。
自分の言葉は本当に自分ひとりの力で成り立ちえる言葉なのか。
そういうことをあまり考えない人間は、周囲のことになど気が付こうはずもない。
そして終わっていく。
人は裕福になればなるほど傲慢になり、自分ひとりで成り立っているような勘違いをする傾向があるそうだ。
自分の立場をとことん勘違いしていた。
だから、反省ができなかったのだろう。
まだ結末というには早いし、生活保護なり救済措置も国で用意されている。
生き残って、反省して、そして今度は自分のためじゃなく、人の為に生きられるようになれれば、その人にも未来はあるけれど、はたしてあの人の性格だからどうなることやら。
[2回]
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