生産性って経済用語で、多くの人が知っている言葉だ。
私は結構会社という組織の中では使えない子で、どんくさく、物覚えも悪く、同じ失敗を何度もする。
人に言われてもできないし、最近じゃやろうとしたことも忘れてしまうっていうありさま。
色んなことやってみたけれど、たぶん超えられない壁がたくさんあって、自分でもハッキリと認識している。
だから、というわけでもないのだけれど、文章なんて書いて、自称作家を名乗っていて、ああきっと金が入ったとしても(自称)ってつけると思うし、こんなことやっているうちは社会の生産性とはまったくかけ離れたものであり続けるのだろうなと思う。
この分野では自分は本当に自由でいられる。
今は飲食店で働いていて、時給は800円もいかない。
社会上の身分は今は「フリーター」ってところだろう。
働いても色々な雑費や生活費で振り込まれたと同時に瞬時に飛んでいく。
とてもじゃないけど、生きていけるような感じじゃない。
社員さんを見ても12時間くらいは働いていても8時間でタイムカードを切ってる。
それで手取りで16万くらい。
12時間も拘束されていたら人生のほかのことをやる時間がない。
趣味はどうなんだろう。結婚生活はそれで成り立つ? 本は読めるのかな? 色々考えてしまう。
最近自分は眠気が酷くて必ず昼寝をしてしまう。
体力も落ちてきたから軽い運動も心がけるようにした。
こういうのってお金にならない。
苛立ってお酒を飲むことも、運動も、昼寝もそう。
私の生産性は限りなく低く、価値らしい価値もあまりない。
でも発想を変えると、とたんにわからなくなる。
心の生産性ってなに? 芸術における生産性とは?
もっと別の言い方にしてみようか。
人間としての生産性の本質はどこにあるのか。
仕事をして、会社に尽くして、毎日心に積み重なっていく大事なものはありますか?
別にこれは会社で働くことを批判的に言おうとしているわけではない。
私は日々の心のあり方に対して、ほんの少しだけ疑問に感じることがあって、自分らしい自分まで押し殺して、一体その先に何を見ているのだろうと。
身を粉にして働いて、築き上げているものは先進国でもトップレベルの自殺大国日本。
自分だけ稼いでも、立派になっても、自分と関わる人は幸せになれるのか。
お金はいくらでも欲しい。
物欲もたくさん掻き立てられる。
時間の使い方が悪くって、思い描いていることの10分の1ぐらいしか作業できてない。
そんな人間が人間同士のことや個人の心のあり方に対して何か言うのもおこがましいけれど、「豊か」であることのあり方が、非常に視覚的に数値化されたり、物理的に見えるもののみで考えられている風潮はよくわかる。
人を愛することは生産性からはかけ離れていることだろうか。
どうしてお金を稼ぐこととは関係ないことをするの?
私は一応芸術をやっているから、その答えはたくさん持っている。
でも、色んな人にどうして? と質問してみたい。
だってそれは日本の社会や経済を冷え込ませる行為なんじゃないの? 稼いで消費してお金を使い続けなきゃ、この国はダメになるんでしょ? その考え方を支持しているんだよね? と。
自分のことを考えるのはよいのだけれど、誰か一人からでも「あなたといてとても幸せです」と言われたことはあるのだろうか。
人は自己中心的な生き物だし、嫌なものは嫌だ。
好きなものだけ集めて生きていたいにきまってる。
それは、心の中に確かに積みあがるものがあって、そしてなおかつ人と分かち合えるものなのだろうか。
ああ、どこか苛々している自分がいる。
この国はとても息苦しく感じることがある。
目に見えない、嫌なプレッシャーがある。
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