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あさかぜさんは見た

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03/23

Sun

2014

KAZUYA 世界一売れないミュージシャン 22日の上映会の日のこと

「前は営業をやってましてね。独立しようとも思っていましたが、まさか会社が潰れるとも思いませんでした」
そう話す営業をやっていたタクシー運転手は今の年収の4倍稼いでいたという。
そして今は2子に対し、生活するために今まで必要性もなかった嫁にも働いてもらっているという。
「これから子供が1人大学に入るので頑張らないと」
年は映画の主演KAZUYAさんとほとんど変わらぬ50代。
「夢を追う、そんな生活に対してどう思われますか?」
「今は人の生活に対して言えるような身分じゃないのでね。夢を追えるだけうらやましいと思いますよ。自分はもうそれはできないのでね」
「昔の自分に対して、今アドバイスできること、一言だけ言えるとしたらなんですか?」
「何もないです。それは、経験しないとわからないことだから、経験して今だから言えるけど、やっぱり経験しないとわからないことあるから」
そうやって去っていった。
夢破れるもの。
夢を追うもの。
夢の最中にいるもの。
人間模様がある。
映画を見た後、何かモヤモヤしたものを整理したく、さ迷っていた。
そんな私は何軒か飲み歩き、少ないお金で話を聞いて回った。

KAZUYA 世界一売れないミュージシャン

という題名のドキュメンタリー映画を見た後の放浪だった。
監督と主演と都築響一さんを交えた3人でのトークショーから始まり、映画の本編に入る。
典型的なダメ男、KZAUYAというミュージシャンを追った一年半のドキュメンタリー映像。
攻めもしない、守りもしない、ただ自分でいたい。
音楽を奏で歌っていたい。
月収よい時で5万。
子供のようにふてくされる。
CD売り出しても10枚も売れない。食えない。冴えない。
仕事の面接行くのも怖い。北海道の外に出るのも億劫。
長く音楽を止めずに続けている、という。
映画を見た後の感想で「もう少し頑張ってみよう」とかその他にもKAZUYAさんに好意的な意見もあった。
でもそういうのは自分としてはイライラした。
自分はKAZUYA側の人間だし、だいぶ失笑の目で見られ続けてきた。
定職にもつかず、ふらふらしていると思われているし、実際何度も言われた。
ある人には終わっているとも言われ、ある人には痛々しいとも言われた。
他人だから言えることってたくさんある。
他人だから許せる。
そういう距離感の感想。
実際にはKAZUYAさんのCDは売れていないし、伸びもない。
私自身がそれと同じことを体験しているだけに、苛立つ所があったのだ。
そして、酷い末路も辿った人もいただけに、「身内」としては心情複雑だ。
映画は真剣に監督もKAZUYAさんも本音で語っていたので、そのシリアスさが逆に面白いところがあった。
いいおっさん2人のぶつかり合いが、時折コントのような雰囲気すら醸し出す不思議さ。
KAZUYAさんの母親が、カメラを前にして息子が聞いているにも関わらず心情を吐露する。
こんなに真剣なら学校の一つでも通わせてやればよかった、だなんて言っていた姿がぐっときた。
父親が亡くなった時に考えた曲が冴えていた。想いがたくさんこもっていることは、音だけでわかる。
プロのミュージシャンとしての才能だと思った。

実は、KAZUYAさん本人には一度会って質問したことがある。
その時私もKAZUYAさんもだいぶ酔っ払っていたのだが、覚えている言葉がある。
「自分でも逃げ場所だってわかっているから」
「自分の中にある、ものを、純粋に追い求めたいって気持ちがあるね。まだ何かあるんだって」
実はCDをダウンロードして事前に聞いていた。
歌詞がダメだと当時のプロデューサーも言っていたし、映画の中でコピーライターとしてはいけると言っていたが同感だった。
「弱者に捧げる」というショートフィルムの中にある監督の言葉を「俺は強者よさようならの方がいいと思うんだよね」と言っていた。
確かに短いフレーズに時折光るものがある。
自分も言葉をやっているからこそわかる、歌詞のぬるさ。
集中力がなさ過ぎると正直思った。
インスピレーションの赴くままに歌詞を作っていく。
見ている場所はいいのに、我慢ができないのか突然世界の広がりの中に自分が出てくる。
フレーズごとの最初の出だしや、最後の言葉の〆が甘い。
もっとよく考えれば、そんな言葉じゃない別の言葉が存在するのに、もう一歩で本当にいい場所を捉えて放さないのに、思いつく感覚でパッと言葉を組み立ててしまうのかもしれない、と感じてしまった。
非常に惜しい。音は今でも光るものがあるのが素人でもわかる。
才能という名のインスピレーションが弾ける。
でも言葉はそれだけでは足りない。
惜しい。たった少しだけ欠けている大器の才能。
でも陶器の器でもいいが、ちょっとでも欠けたら価値は激減する。
本人のあり方もあるんだろうけど、もしかしたらたくさんのチャンスがあったんだろうなと思わせるような人。
ドキュメンタリー賞のトロフィーを持って、酔っ払いながら語っていた姿を思い返し、その言葉の端々に出る「外に広がりを持たない姿勢」は、例えるなら中学生や高校生が持っている感受性をそのまま大人になっても持っている人間だと言える。
そしてその純粋なものを変えられることに対し、大きな嫌悪感があるのだろうと思った。
自分の中にあるものを追い求める。
それは純粋性の追求なんじゃないかとも思う。
芸術家はどうしても色んな意味で純度100%を目標にしているところがあると私は思う。
そこまでいけたら、もう誰にも真似できない。自分だけの、自分による、自分ゆえの作品となる。
KAZUYAさんはきっと意固地とも言えるような姿勢で今の自分を突き進むだろう。
映画でもわかったが、本人はもっと面白い。
人を魅了する何かを持っている。

「海が怖い」
映画の中の言葉も映画を見た後の帰り道で思い出した。
広すぎて、飲み込まれ、自分が消えてしまうような恐怖があるんだろうなと思った。
その恐怖は世間という大きな波に飲まれて、自分の音楽も言葉も思いも歪められてしまう恐怖感ではないのかなとも感じた。
大人はもまれて変わっていって、成長していく。
だけど不思議なことにKAZUYAさんは逆行している。
最も純粋な子供になろうとしているのではないか。

映画が終わり3曲を披露してくれたKAZUYAさん。
真ん中の曲は忘れたけれど「レクイエム」と「なぶり書き」。
「レクイエム」は別れをテーマにした曲。
ギターの音がピンと体を貫き、声は心をバチンと打つ。
まるでスポットライトに当たっているようで最高にかっこよかった。
最後の「なぶり書き」で「俺はここにいる」というスタンスを空間全体に投げつける。
かっこ悪い大人のカッコイイ生き方。
映画よりも生身のKAZUYAさんはとっても魅力的だった。
でも映画を見ただけでは、本人を見ただけでは、まだ自分の中でピースが足りない感覚があった。

そしてKAZUYAさんの当時のプロデューサーがマスターのバーへ。
70年代だかのブルースを映像で流していた。
技術も音も雰囲気も一級品。
30分ぐらい見ていたが、「イカンイカン。映画が全部消えてしまう」と早々に退散した。
そして「歌詞」のことをマスターに告げ「それ本人に言ってやってよ」と言われたが、言えるわけがない。
純粋性を阻害してしまうのではないかとも思ってしまう。
マスターが思う彼の唯一の欠点。
「歌詞」
KAZUYAさんそのものを表わす結晶であり、反面、彼の活躍を阻んでいるもの。
うまくはいかないものだ。

以前KAZUYAさんと出会った時、プロデューサーとお客さん含めたおっさん3人が他人のフォークソングの音声をPCから流れてくるのを聞きながら「いいねぇ」と、うなだれていた。
自分にはわからないよさを知る人たち。
みんないぶし銀の大人だった。
その姿が頭のどこかにこびりついていた。

もう一軒、人がいなさそうなところを見つけて寄ったが、「50になって、色んなことが、いいんじゃないくらいの気持ちで片付けられるようになった」という男性店主と話し込んだ。
色々話し込んだけれど、偶然隣に座った女性客が面白く、店主と絡んで夢の話になった時「(旦那が)家には迷惑かけないで、自分で全部片付けられるんだったら、夢なりなんなりやっていい。店出したいみたいだからさ、失敗することも大事じゃない」という人だった。
理解があるというのだろうか、器が大きいというんだろうか、「男性って、どうしようもないガキだって部分があって、大人になってもそれを失わずに持っていることが多々ありますね」と私が話すと店主もうなづいていた。
店主もその場所にお店を出して、まだ数ヶ月。
おいしい料理を出すということを日々考えているという。
「いつもくだらない話ばっかりしていたから、今日は真面目に色々考えた。どうもありがとう」と言われお店を出て、帰り際に以前寄ったお店の店主に見つかり、「ああ、じゃあ一杯だけ」と飲んだけれど、20代の男性店主は「夢をやりたいから社員で頑張っている」と言った。
札幌にはYOSAKOIソーランという踊りのイベントがあるが、YOSAKOIで踊っていきたいのだという。
そこにいたもう1人の社員の女性も夢を持っていると言っていた。
帰り際に店主から「夢を追う男ってかっこいいですよね」と言われ「そうとも言えないよ」とニヤッと返答して店を出た。

凄いミュージシャンの映像があった。
人は凄いものを見て、売れているのを見て、純粋に感動したり尊敬したり、それで食えない人間には批判的になり、凄いものとそうでないものを対比して見たりする。
優れたものは誰だって好きに決まっている。

中年になってお店を持った人がいる。
理解のある器の大きい女性がいる。
純粋にそれをやり続けられるっていうのはカッコイイことなんじゃないですかね、と店主。
失敗することも大事でしょ。諦めがつくから、と女性客。

夢を追い求める若者がいる。
手に入れたい衝動。好きを求める心の強さ。今を必死に頑張るのは夢があるからだということがよくわかった。
そして帰りのタクシーの中で聞いた、夢が破れ去った運転手。
でも子供がいる。
絶望にまみれているわけではない。
色んな人間模様があった。

振り返ってみれば、人の中にはきちんと夢が詰まっているじゃないかと思った。
自分1人だけ夢を持っているかのような、ひっそりと頑張っているかのような感覚になりがちで、夢を追うことを「生活」という部分から批判する人もいるけれど、たくさん夢を持った人が生きていて、そしてそれを活力にして生きている。
小さいものから大きなものまで星のようにきらめいていて、自分の街にも素敵なものが本当にたくさんあるのだなと思った。

売れなくてもいい。
有名にならなくたっていい。
純粋に好きなものを追い求める。
そんな人を生き生きさせてくれるような夢を持っている人がたくさんいた。
現実の前でどうしようもなく挫折することもあるでしょう。
他人から心無い言葉を投げかけられることもあるでしょう。
諦めなければならない時もあるでしょう。
きっと今日もKAZUYAさんはどこかで音楽のことを考え続け、プロデューサーはお店の中でいい音楽に触れていて、中年店主は談笑しながら料理のことを考えていて、若者は夢を求めていて、タクシー運転手は家族のことを考えている。
そして私はこの日に体験したことの素晴らしさの2割も表現できていない歯がゆさに悶え転がりながら、次の小説や台本のことを考えている。
ダメでも輝いていける。
生活のダメさは人間的な魅力とイコールではない。
KAZUYAさんの歌っている姿がまぶたの裏にくっきり刻みつき、市井の人たちを見る目が断然変わったことに自分自身驚いている。

いいものが、たくさん見れたし、触れることもできた素晴らしい日になった。
映画は、そんな人の本当の面白さってやつを教えてくれる。





KAZUYA〜世界一売れないミュージシャン

人の夢は決して奪えやしない。
人は活きて生きたいのだから。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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