http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E9%AB%98%E8%97%A4%E3%82%AB%E3%83%B2%E3%83%AB%E3%81%95%E3%82%93高藤カヲルさん
この人には直接会ったこともなければ、作品を版元さんに紹介されるまでまったく知らなかった。
でも2010年に書いた、面識のない自分の、どうでもいいような記事を読んで拍手という機能を使っていく人がいる。
今は33の拍手をもらっている。
これは少なくとも33人の人間がFacebookで言う「いいね!」を押していったということだ。
つまり、気になって調べて、記事を読んで33人のファンが彼女のことを想っていたということだ。
これはどういうことだろう。
才能があったということなのか、それとも、記憶に残る人間だったということなのか。
漫画だったが、作品の作画は荒かったにせよ、内容をよく調べていたことは今でも思い出せる。
年月が経ち、もう読めない作品もたくさんある。
不気味とも思える、数字の地味な積み重なりが、今自分が書いた記事の中で一番の拍手数をもらっている。
そして不思議な事に、誰一人としてコメントは残していない。
これは何を意味しているのだ。
これは、何を訴えかけようとしているのだろう。
拍手を押さなくとも、一週間に一度以上は彼女の名前の検索で自分の記事に流れてくる人がいる。
死者が何かを訴えかけるというのは、あまり実感としてなかった。
だが、ふと自分のブログの地味に増えていく、この拍手の数字を見て、彼女の執念のようなものを今感じるようになっている。
こんな執念めいたものを、自分も時間の中に残せるのかと、自分のことを問い直してもいる。
彼女が訴えかけようとしたものは、自分が当時軽々しく思っていたものよりも、ずっとずっと重苦しいものだったんじゃないか。
歴史の改ざんという、どこにでもありそうな、しかし誰も疑問に思わない「常識」の部分への、暗示めいたテーマが、いや、もしかしたら別のことかもしれない。
でも、ファンの無言の訴えが、彼女の死を惜しむ声が、ひしひしと伝わってきて、苦しくもあり、またはたと立ち止まって何かを考えさせられるものとなっている。
私はようやく今になって、彼女のことを身近に感じ始めている。
追記:ご遺族の方々へ。
ご遺族の方が、もしこの記事を見ていらっしゃったら、ぜひコメント欲しいと思っています。
私は現在ボイスドラマ、ラジオで流れるような声だけのドラマ形式のものを作る団体を持っております。
フルボイスでRBBをボイスドラマ化し、彼女の無言の訴えに対し、ひとつ報いたいと思っております。
もしご許可をいただけるのなら、作画を使用し、「続」も含めたRBBをすべてキャストを総動員し、彼女の作品を、彼女の魂を訴えていきたいと思います。
今までのご心労、ここで文字で書くにも、眼前にしたとしても、あまりあることだと思っておりますし、筆舌に尽くしがたく、どうお心をお慰めしてよいかわからぬほどです。
なので、もしご検討いただけたら、もし、公開してもよいというのなら、全力で作らせていただきたいと思います。
[18回]
PR
http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E6%AD%BB%E8%80%85%E3%81%AE%E5%9F%B7%E5%BF%B5死者の執念