先日の関東地方の集中豪雨で、職場の近くが土砂災害にあい、道路が遮断されて陸の孤島になっています、と携帯から投稿していた知り合いの日記を見た。
あまり話すこともなく馴染みがだんだんと薄くなってきていた人だったし、どう声をかけてよいのかわからないから、なんとも思わないで読み流した。
友達のみんなは心配のコメントを書いていた。
後日、避難所に多くの人が支援を行ってくれたことで恐怖も膨れ上がらなくて済んだこと、コメントに励まされたこと、人のあたたかみを知って感謝したいことなどが日記に書かれていた。
これを見て、自分は人間として何か欠落している部分があるのではないのかと疑った。
東京地方の集中豪雨はネットに投稿された写真で、どの程度かわかっていたのに。
土砂災害が近くで起こってます、との報告を受ければ心配するのが当たり前なのではないか。
自分の心はどこか乾いていて、関係のない人の情報を遮断していながら過ごしている。
そして「他人事」としてでしか考えていない自分もいる。
自分の時は誰か救ってくれるのだろうか。
何かしみったれて甘ったれた気持ちがいくつも浮かんでは消えて、今の自分が人間らしい何かを、いや、潤いをなくして、感受性を干ばつの大地のように干からびさせて、何かを育てさせるような心の土壌を失っているのだと強く感じた。
版元さんから連絡を受けて「感想をください」と言われ、高藤カオル作品を通しで初めて読んだのだが、以前にも紹介されて今年の3月に亡くなっていたことがサイトに書かれていたのは知っていた。
病死なのか、事故死なのかわからない。
当然一度も会ったことがなければ、話したことすらもない。
版元さんは会ったことがあるようだった。
写真を見る限り若く、これからの人だった。
版元さんは酷く動揺していたし悔やんでいたが、自分には思い入れがないから何の感情も浮かんでこなかった。
自分の中ではその人が生きて動いている様子を見たことがないので、写真を見ても「絵」にしかならなかった。
高藤カヲルさんの漫画サイト。
http://park3.wakwak.com/~ss-saito/ori/0-orijinaru.htm
彼女の漫画作品は「首刈り」と言われる、代々忌み嫌われ呪われた存在であるとされている「処刑人」、その「首刈り」に興味を持った習俗研究の学生マリーが中心となって因習の真相が暴かれていく前編と、その数年後を描いた後編に分かれている。
「道端にある何気ない石や、日常やっている当たり前の行動にも、昔の人の願いや祈りが込められているんだなって…そう思うとこの国に残っているいろんな事がすごく素敵なの。でもきっと忘れ去られてる祈りや思いがあるはず」
最初に書かれているこの台詞に、彼女の思いのすべてが満ちているのだなと読みながら感じた。
習俗。
~ある地域やある社会で昔から伝わっている風俗や習慣。風習。ならわし。~
普通に生きていて、この言葉を意識することは皆無だろう。
実際今まで生きてきて、ほとんど耳にしたことはない。
いわゆる民俗学や宗教学、国史学なども含んでいく内容だが、これはあまりにも生活に密着しすぎていて普段意識することがまったくないからに他ならない。
たとえば、今もっている偏見や知識や生活スタイルがどのようにして自分の行動様式として身についたか意識したことはあるだろうか。
ほとんどの人間は意識することはないと思う。
この漫画は「首刈り」という題材を扱っていて、コミカルなタッチで描かれているのでまったく重苦しく暗い雰囲気はなく、テンポよく読んでいける。
軽いタッチのようで扱っている内容は軽くはなく、そこらへんのバランスはよく取れていると思った。
少しだけ途中で、その軽やかさに飽きることはあっても最後まで引っ張っていく複線の多様な張り方は将来性が高いだけに惜しいなと感じるところはあった。
全編を通して読み取れるのは、歴史や慣習の中で生きる人々が、たとえその「偽られた正義」に気がつこうとも身についた慣習には身体的拒否がまず最初に来るということ。
そして「慣習における偽り」に抗おうとした時、自分のみならず多くの人間を巻き込んで「犠牲者」としていかなければならないこと。
これは歴史の不可避であって、いくら綺麗ごとを言おうと現実は「血」で成り立っているということ。
正義を提示して、それを「立証」しても、救える人間がいないということもありうること。
一度発生した人の思い、因果は必ず何かの形で返ってくるということ。
人の思いは繋がっていくということも言える。
はたして自分の知った真実が、明らかに正義感に触れ、戦わなければならないという決断に迫られた時、自分や他人を犠牲にしてまでなお余りある何かがもたらされるのか、という一個人の問題にまで深くぶち当たっている。
高藤カヲルはそんな一人一人の思いを余さずに描いている。
そういう優しい視点に満ち溢れているのがよくわかる。
歴史や風俗がどのようにして作られるのかという仕組みや背景もよく描かれているし、漫画では描かれていないが、そこに生きた人の希望が絶望に変わらないように「救い」も書かれている。
もう彼女は死んで、続きを書くことも世界観を広げることもできない。
きっと生きていたら「死刑」と「人間らしさ」を通じて、人間の「生と死」を深く考え描いていったことだろう。
書きかけの続編を見て、そう感じた。
きっと発表された作品よりも、もっともっと深みのある漫画を書いていたに違いない。
こうして書いていると、まったく面識のない彼女を少しだけ悔やむ気持ちが沸き起こってきた。
不思議なものだ。
歴史は生きている人間のみが作っているものと勘違いしていたが、どうもそうではないらしい。
死者もまた、こうして生きている誰かに思いを伝えることができる。
「伝えること」や「戦う」ことの意義が、この漫画には込められていると強く感じている。
[64回]
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