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あさかぜさんは見た

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06/03

Sun

2012

ストレスと暴力性

心理的に「社会から虐げられている」という気持ちの人間が少しだけ理解できる。
他人を殺したくなったり、暴力を振るいたくなったりする気持ちが少しだけ理解できる。

わかりやすく言えば承認欲求ではあるが、それ以上に自分の価値への空虚感、ある種の底なしの乾きのようなものを持っている。
当然それは「外部」からの圧力によって、影響によって、今自分はこうなっているのだという気持ちがわき起こるが、具体的に払拭するにはどう行動していいのかわからず、目の前にあるレールを眺めてはしぶしぶと皆と同じ道を歩みだしながら鬱憤をつのらせていく。

私もふと暴力的な考えが頭に浮かんでくることがあった。
自分の存在が軽視され、無価値であるかのような、足元から次の瞬間崩れてしまうような、生きていても虚しいような、そんな感覚の中、生きようとする気持ちや力が、その無気力さや感覚的に感じる脅迫感を排除したくて、結局憎しみや暴力に考えが流れていく。
生きようとすることは「停滞していた感情活動」を再起動させることでもあるので、心に沈めていたドロドロした感情が込みあがってくる、というわけだ。

脅迫観念は心の底に沈んでいて、直接言われなくとも過去に経験が重なれば四六時中心に浮かんでいて、酷い場合は一ヶ月とか半年とか前のことすら思い浮かべて心を病ませている。
なので、このどす黒いものに取り付かれてしまうと、まるでギトギトの油がついたように、なかなか落とすことができない。
人間の心の浄化能力は石鹸で洗う程度で、強力洗剤のようには洗えない。
なので、与えられた理不尽さや憎しみを別の大きなもので排除していけない限りは、たまりにたまった鬱憤が、どこかで爆発する。

不特定多数の人間を狙う人の気持ちが少しわかる。
彼らは漠然とした「シンボル」に対して怒りや憎しみを覚えているということだ。
例えば「社会が悪い」「人間は信用できない」など特定の個人というよりも、もっと漠然とした「象徴」のようなものを憎んでいたりする。
だから誰々さんを殺しにいくのではなく、「象徴」を破壊しに行く。
自分が感じている「空気」のようなものを破壊しようと足掻く。
だがそれでもストレスを発散しただけであって、物事の根本は変わらないのだから、理不尽さだけが残る。

漠然としたものを攻撃した後には、現実的な具体性のみが残るので、そこで初めて自分が抽象的なものを憎んでいたのだと気がつき、現実へ後悔をしだす。
こんな流れは多いと思う。

ほとんどの場合は、現実的な何かにしがみ付いて、凶行までの一歩を躊躇すると思う。
例えば、たった一人の親友のこと、仲間たちとの思い出、大好きな歌手の歌が聴けなくなる、おいしいもの、やりたいこと、などなど些細ではあるが、自分が感じている現実をどこかで思い浮かべ、やめる。
たいていは凶暴な考えが浮かぶ前に怒りとして出てくるだけで、具体的な凶行までの妄想までは至らないだろう。
それが普通だろうと思う。

暴力というものは、より弱気ものへと向かう性質がある。
強いものと戦うには非力だから負け続けているのだということを直感的に理解しているので、自分の力を誇示できる存在へ、力を向けて自尊心を得る。
男性の場合は上下にこだわり、女性の場合は集団への所属と支配にこだわる性質がある。
なので男性の場合は下部へと暴力が向かい、女性の場合は集団からの特定個人の排除(集団を取り込んだり、うわさを流したりする)に力が使われる。

暴力を振るう人間は、自分の優位性を確保する。
つまり、まがりなりしも自分が責められないような状況で相手を責め立てるため、だいたい相手の欠点や失態、自分の優れている能力や立場などを利用するのが特徴だ。
彼らの暴力性の底に沈んでいるものは比較における自身の劣等感なので、社会上自分より裕福であったり権力があったりする人間に常に向けられる。
彼らもまた「シンボル」を憎んでいる。
なので流される情報の裏を取らず、持論への反証の可能性を模索せず、ただ感じるままに自分の鬱憤と合致するようなものを探し出しては偽善的な義憤を燃え上がらせる。
そして彼らは直接的暴力のみが暴力であると思い込み、自分が物理的で直接的な暴力行為をしない限りは、暴力に該当しないと思い込んでいる。

人間の社会は法律に抵触しない暴力に満ち溢れている。
ストレスのみならず、欲望を優先させるよう、貪欲でなければ何者かに負けてしまうので、より強者であるよう、体に叩き込まれていく。
そうしなければ、まるで転落してしまうかのような気持ちにもなる。
だから皆止められない。
皆誰かを監視している。
出し抜かれないように、自分が攻撃されないように。

人の世が理不尽で不条理なのは、人に欲望がある限り、永久に続くのではないかとさえ思う。
弱者が滅んでいくのは自然の摂理かもしれないが、知恵のある人間が他の自然界の中の動物と同じであるような理屈を主張する人間は「獣並みの頭」しかないと私は思うようになってきた。
人間は機械ではない。
社会に適応できないからといって「欠陥品」でもなんでもないのだ。
ただ、居るべき環境を間違えているだけなのかもしれない。
周囲はそれにすら考えが及ばない。

いつだって浅慮な人間が理不尽な暴力を振るいだすのだ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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