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あさかぜさんは見た

日記

06/11

Mon

2012

好きなればこそ

「痛くても辛くても、それでも一緒にいたいって思うのが好きってことだと思うんだ」
そう言われて「ああ、そうだよな」としみじみ思った。

自分の場合は創作活動と重ね合わせて、「本当に好きなら受ける痛みよりも失う怖さのほうが大きい」という実感から考えてしまう。

しかし実際、そんなレベルまで気持ちを高めるのは本当に大変なことだし、それだけのものに出会えるのもなかなか少ない。

私自身「好き」という感情に酷く懐疑的なところがあり、その「好き」は「夢を見ている」程度のことでしかないのではないか、だからこそすぐ、ちょっとしたことで、自分の気に入らないことがすっと入っただけで、覚めてしまう程度のものなのではないかと、いつも思っている。
だからこそ、他人の「好き」を「ああ、やりたいところまでやれば」という冷めた目で見ているし、「やれるものならやってみろ」と熱っぽい目でも見つめている。

でも、口だけのことなんて信用できないし、それを裏付ける行動をしてこそ、この人の熱意は本物なのだと信じることが出来る。
みんな上辺だけで通じ合えて、そこから少しずつ深く接していくのだろうが、いつまでも上辺のままで済ませてしまう人もいる。
そういう人はいつまでも上辺だけで付き合っていればいいのだけれど、自分にはいらない。

本当に好きになるって、本当に辛いことだし、何かを犠牲にしなければいけないし、その犠牲さえも心地よいと思えるような心境だと思っている。
好きは真剣だから、真剣になれないようなのなら、ただの憧れなのだろうなとも思う。
なのにどうして「好き」だとか簡単に言ってしまうのだろうなとか、そういう軽さに付き合って「好き」とか言ってると、何か「遠さ」を感じてしまったり。
覚悟がないなら、いつまでも夢見るようなことはやめろとか、普通に考えてしまうけれど、それは人の人生だから口をつむいだり。

好きが普通の道を外れて、人生そのものが危うい状態になりかねない自分もいるし、その自分すら沸騰しつつあるぬるま湯に浸かっているカエルであったり、人は自分勝手であり、その典型的な人間であったり。
ようは「自分で納得できない苦しみ」でなければ、進むに進めない。
何かあって折れるなら、そこでやめてしまえ! と思うわけです。
だって、そう言ってあげるのが慈悲だと思うのです。
じりじりじわじわずるずるといつまでも夢を見させて浪費させるより、すっぱり傷つけてやって諦めさせたほうがずっといいのです。
新しい道を歩めることだしね。

ああ、酔っ払って脈絡もない文章を書いているわけですが、夢を語るなら、覚悟をしないといけないと思っているのです。
苦しみすらも、好きなればこそ、受け入れられるのだから。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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