「ターミネーター2」を見たのはいつだろうと調べてみたら1991年だった。
その時ジョン・コナー役で出ていたエドワード・ファーロングを最後に見たのは「アメリカンヒストリーX」だった。
これが1998年。
この時はいい存在感だったんだけどなあ。
それでwiki見たらびっくりした。
どうしたの?あの時の美少年がやばいくらい、いかにもって風貌に。
スラムとかによくいそうな雰囲気を醸し出している。
よく読んだら、なんとヤク中とな。
何があったの?
ハリウッドでは成功したものの、その「成功」のせいで破滅に至る俳優さんは結構多い。
ぱっと浮かんだのは「ホーム・アローン1,2」で出ていた主役の子供のマコーレ・カルキンも稼いだ莫大な金が原因で両親が争い酒と薬に走っている。
しかしヤク中から悟りを開いたようにきっぱりと薬を絶ったロバート・ダウニー・Jr(「アイアンマン」「シャーロック・ホームズ」)はなぜ止められたのだろう。
「2003年に「きっぱりと止める時がきた」と直感。所持していた麻薬を全て海に投げ捨て、それ以後ドラッグには手を出していないとのことである。」(wikiより)
何が起こったのだ。
実は華やかそうに見える世界は、それほど幸福ではないのかもしれないなと思ったりもする。
というより、やはり常人よりも多感なものがあるからこそ人の心に迫れる演技ができるわけであって、多感だからこそ孤独や人の邪気を過敏に吸い込み、心をどうしようもできなくなるのではないのかなと思ったりする。
いやー、自分もアメリカに住んでたらマリファナぐらいはバンバンやってたかもしれないね。
日本でよかった。
私はストレスが溜まると暴飲暴食にはしって吐くまでやってしまい、次の日も胃酸が出るくらい吐いて体が動かなくなるくらいグラグラしている状態になってようやく平静を得るのだから、こういう薬に溺れる可能性はあったわけだ。
もう精神的に安定しているからやってないし、やりたくもないけれど。
幸せって何なんでしょうね。
多くの人はお金を持って、それを自由に使えて自由に行動できてってことを思い浮かべるけれど、本当の幸せは人とのあたたかみ、そのあたたかみをやりとりできる親友の存在なのかもしれないなと思ったりする。
つまりよい意味での理解者が一人でもいれば人間生きていけるような気がするのですよ。
特殊な事情を持っている人、心中複雑な人、華やかな舞台にいる人は通常の人からは、まず理解されづらいよね。
なぜなら皆色めがねで見るから。
人と人との間で「心の語り合い」ができることは本当に時間がかかるし稀ではあるけれど、不可能なわけじゃない。
日本は合成麻薬の問題があり、今は子供たちが危険にさらされている。
人々が心の豊かさを失い、人を責めるようになると子供たちは荒んでくる。
心も人も逃げ道がなくなると破滅的な方法を取り出す。
そうはならないように人と接したいものですな。
ちなみに「ターミネーター2」は今見ても面白いですよ。
「アメリカンヒストリーX」はエドワード・ノートンが豹変する人種差別を扱ったテーマ性の高い作品。
ちょっとこっちは強烈。
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