少し整理ができたので書く。
先日腹が立ったのは店長から「乞食」と言われたことで一気に吐き気がしてきたのですな。
一年ちょっとぐらい顔見知りの親しい店員から2杯奢ってもらい(4杯目)、そして2度目に会った客(中年のおじ様)に店長が「じゃあ一杯いただきます」と言った時、そのお客と話が乗り酔いの勢いもあって調子に乗り「じゃあ(飲んでいる店員からの2杯目の分)俺もいただきます」と言った時に言われた(つまり店員からの2杯目は、奢りを店員からおじさまへシフトさせた)。
その前には(同じ日)確実にこちらに非がない状態で私への蔑みとも取れるような発言を私が出会った初めての人に言っただけに、少々苛立っていて、「乞食」発言が最後の留めになった。
よく考えてみれば確かにみすぼらしいかもしれない。
その奢ってくれた店員には書いた文章などを渡したりしていたし、書いた文を買ってもらったりしていたけれど、そういうやり取りは店長からしてみれば理解できないことのようだ。
2度目とは言え、おじさまにも馴れ馴れしすぎた。
人からどう見られているかを意識しすぎることはないだろうが、不用意に不愉快にさせる必要もまたない。
これからもっと厳しいことが起こることが容易に想像できるだけに、人と接するときは最大限の敬意を払いながら進んでいかなければ、こうして何日も別の感情にエネルギーを割かれ、そして精神的に疲れて使うべき場所に全力で力を使えないという本末転倒な状態に陥ることだって充分にありうる。
そして今まで無様でみすぼらしいことは百も承知していたが、そろそろ自分がどうやって生きてきたのか、今までの人生とは何だったのか、ゆっくりと整理するべき場所へ来ている。
日本を出ることも視野に入れているだけに、日本人として、現地の人から見ての外国人として、確実に磨かれきったところがなければ通用しない。
変態だろうと頭がおかしいだろうと最低だろうと何を言われてもいいが、せめて自分が作り出すものだけは確実に磨かれたものでなければいけない。
それを生み出すには別のところに感情や精神を大きく吸い込まれるわけにはいかない。
今回はとてもよい勉強をさせてもらった。
まだもやもやとした怒りとも悲しみとも虚しさとも不安とも蔑みとも言えるような感情が広がっていこうとしているが、いつまでも子供でいることは許されない。
これから、世に出て行くのだから「美しくあること」というのも考えないとね。
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