若さってやっぱり財産なのだよな、と若い人と話しているとよく思う。
といっても、10年ぐらいの差なのだが、自分は10年間はまるまる出遅れているという気持ちが強いので、辛くとも悩みながら、それでも目標に向かっている姿を見ると、ああ、なんと素晴らしいことだろうと感慨にふけってしまう。
人間は理屈の上でわかっていることは何も分かっていない。
分かってくるのは実感として染み付いてきたときに、ようやく「こんなものなのかな」と深く感じ出す。
結局上っ面を撫でているようなものには、まだ中身はわかっていない。
情報だけ理解し、現象も理解しているようで、本当の仕組みにまでは理解が及んでいないということは情報がありふれているからこそ陥る錯覚だと思っている。
自分もまた、間違いを犯さないよりも、あえて当たって砕けろを心がけているのだけれど、理解などという言葉にはものすごく遠いところにいる。
そろそろ、死ぬまでの道筋を考え始めている。
人生の時間は限られているとは言うけれど、実際にそれを意識できている人は少ない。
私ぐらいの年だったら、まだまだ人生は続くだろうと考えているだろう。
私は自分のやっていることが失敗すれば、死あるのみなので、後がない。
たとえ食えていけたとしても、命尽きるまでにできることといったら限られてくる。
その「命尽きるまでに残していくもの」を少しずつ考えている。
例えばミュージシャンでも、30年も活動できる人は、一握りしかいない。
しかも30年といったら随分長いような気がするが、世代を越えて、ということを考えるとどうもそうではない。
あまりにも短い。
私が携わっているのは文学だが、はたして100年残っていくような作品がひとつでも残せるだろうかと考える。
一体何のために色々なものに頼りながら、意固地にここにかじりついているのだろうと、時折自問自答する。
将来成し得ることまでは断定できないし、そこに希望を抱くか絶望するかは本人の心構え次第だ。
先日NHKで人類とお金の関係を放送していた。
お金とは単純に生活していくための道具だと漠然と認識していて、お金を得るために働かなければならないと現代日本人は誰しも認識できている。
今現在、まともに生活できるほどお金を稼げない、結果を残せない自分は世間から見れば価値がない。
結果がないのだから値段がつかない。
「自由」とは何でもしていいが、すべての結果の責任は自分が負わなければいけない。
フリーランスやノマドなどといったら聞こえだけはよいが、正直言って食い合い。
いや、そもそも「個人事業主」みたいなものがなくとも、芸術家、芸に携わるものは自然と「実力の世界」に巻き込まれている。
これが微塵も理解できないのなら携わる資格がない。
そしてそもそもこれらの「芸」は「値段のないもの」であって、そこをうまく現代資本主義のシステムに乗せて金を得ている。
今お金のことを考えると今の自分には価値がないのだから、たちまち首でもくくりたい気分になるのだが、何かそんなことばかり考えていると、すっと言葉が頭の中から砂のようにこぼれ落ちて、何も組み立てられない日々が続いてしまう。
お金がないということは、ものすごい焦りがある。
自分の評価が低いという実感も持ってしまう。
悲しいまでの実力のなさというものを突きつけられているようで辛くなる。
希望を持ちつづけるには精神力が必要で、それは恐ろしいほど莫大な、まるで恋でもしているかのようなモチベーションがなければ、すぐに尽きてしまう。
やはりどこかで「見返り」がないと、萎えてしまう。
ここ最近はこんなことの繰り返しで少しずつ進んでいるのだが、言葉の世界や目の前の事実だけにこだわってしまうと未来を作っていけなくなる。
言葉の世界に携わっているだけに、その呪術めいた作用や、暗示的な作用が働いてくるのはよくわかってくる。
しかし言葉だけでは本心を覆すことはできない。
どんなに綺麗事を言おうと現実は変わらない。
汚いことを言おうと現実は変わらない。
やるべきことはわかっているのだからやればいいのにね、精神力が追いつかないのですよ。
小説書くのが楽しいと言っている人が羨ましいね。
どうしてあんなに自分のすべてをひっくり返してくるような作業が楽しいのだか。
さて、人生の時間は限られているという題名でこんなに長々と愚痴めいた日記を書くのはそもそも間違っている。
今やるべきことはXHTMLとHTML5の勉強なのですよ。
文章のことではなくウェブ構築のノウハウを得るという、随分と遠回りなのですがしょうがないもんね、やりたいことを表現するのに必要なのだから。
英語の勉強もして将来英語で小説書けないと生き残れないだろうなとも考えているし、こういうことざっとあげただけでも5年は費やしそう。
それで詩のことも、またやり直さないといけないし、書くといっぱい出てくるんだよな。
四書五経、キリストイスラムの宗教世界のこと、量子力学、心理学、脳のこととか、あーもう、ありすぎる。
三国志も改めて「陣形」のこととか学びたいし、水滸伝だってまだ読んでないし、金瓶梅、紅楼夢、西遊記とか、うおい、童話もあるし、グリム、アンデルセン、マザーグース、イソップ、シャルル・ペロー、日本の近代文学だってまだ読み尽くしているわけじゃないし、ね、やることいっぱい。
ということで、目標なんて与えられるものじゃなくて自分で見つけてこなしていかないといけないわけですわ。
死ぬまでの時間のこと考えても不思議じゃないでしょ、今あるだけでもこれだけあるのだから。
最低限のベースとして備えておかなければならないことなんですよ、これでも。
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