※今回も文藝春秋からなので「道化師の蝶」のみで。
わからない。
腑に落ちない。
おーーーいに疑問が残る。
今回の芥川賞受賞の最大のミステリーだ。
なぜ、審査員が理解もしていないものが芥川賞をとれたのか。
じゃあ誰がこの作品を理解していたのか。
誰が審査員たちに、この作品を推したのか。
首を360度ひねっても部外者にはわからない事情だ。
さて、個人的には久しぶりに頭を使った。
そして最初読んだとき、審査員のコメントも頭に残っていて「量子論」も取り入れたのではないかというイメージがこびりついていて、作品への純粋な理解を拒んだ。
そして「もしかしてこれは言語論を少し越えて言語とそれにまつわる事象が脳内でどうインプットアウトプットという処理をされているのか」まで突っ込んでいるのではと思った。
審査員たちのなるべくこの作品に言及したくはないあたり、どうにも日本の小説は「ストーリー」ありきで、そこに記号的な暗喩を用いてパズルめいた小説とすることには理解がないらしい。
amazonでも混乱ぶりがよく見て取れる。
そして、その混乱ぶりこそ、この「道化師の蝶」に書かれているテーマたる「言語論」であり、示していることである。
はてさて、「言語論」と言っても何のことやら。
簡単ではあるがテキストとしては
記号工学研究室、初心者のための記号論の中にあるテクスト間相互関連性がヒントになる。
動画では50分近くあるが、
【ニコニコ動画】哲学の「て」 第17回 MADとコメ職人でわかるポスト構造主義テクスト論
がヒントになる。
最初頭をよぎったのは「もしかしたら何か参照にした論文が存在するのではないか」という疑問だったが私の頭では見つけられそうにない。
とりあえずは上記のリンクで精一杯だった。
この小説では「記号」というものが大事になる。
登場人物は人物ではなく、何かを暗喩している「記号」となっている。
大前提として「我々は意味など共有しあっていない」ということだ。
たとえば同じ言葉でさえも、それぞれ解釈が違ってくる。
そして言葉に対する使い方さえも違うのだ。
言語を覚え、それを使用するとき、私たちは「生涯同じ意味で使いつづける」ということはまずない。
そして言語は他者へと伝えるコミュニケーション手段としての「道具」として使われる。
他者に向かって使用されたとき、他者の中で言語は変容し、意味の感触は変えられて受容される。
だが、二者間の間では、その共有されているであろう幻想を持って、我々は伝えあっていると認識している。
例えば三人いたらどうだろう。
三人の中で言葉がやりとりされるうちに、個々人の当初の意味合いにおいて言葉が使われるのではなく、三者がそれとなく了承しあった意味に最後には変わっている。
もしかしたらその最終段階に至るまでに喧嘩が起きるかもしれないし、あらゆる類推がなされるかもしれない。
そうしてようやく言葉は個人を離れて「三人にとって意味のある言葉」に置き換えられるのだ。
その時個人の脳内では当初に意識していた言葉の感触や意味合いは完全に保管されているであろうか。
残念ながら完全に崩されているはずだ。
テキストというものを暗示的にも明示的にも他者へと使った場合、「意味を伝えようとする意図」が既に他者に伝わった段階で壊されている。
「当人が思っていた意味」が「他人の意味」に置き換えられてしまうからだ。
言葉を扱うことは意味の純粋性を壊し、意味や意図を伝えようとする目的からは矛盾している。
それでも、ある一定の妥協点において言葉を二者間、あるいは三者間の間で妥協しなければ使用できない。
そうして「他者との妥協によって生まれた言葉の意味」は「テキスト」となり、また誰かがそれを行い、となる。
この作用は半永久的に続く。
この連鎖性こそ「存在しない生き物」のように変容していっている言語性質となる。
まあ、簡単に説明すればこんなところ。
でもこの感想とて、この小説と同じように「なぞっている」に過ぎない。
安部公房の名前が出てきて、円城塔作品はもしかしたらロシアなどの海外で高く評価されるのではないのかと思ったが、まだまだ作品の質としては「入り口」に過ぎない。
これ以上難解になると読者がついてこれないのではないかという批判も出てくるだろうけれど、私自身はこのような作品が評価の対象になることは嬉しいし、ちょっとした「問題」を出されているようで興奮する。
私は言語論のことなど知らなかったが、読みながら「量子論も組み込めるな」と思った。
その時、作品として書かれたテキストの中で作者が「死んでもいないし生きてもいない状態」を示せるとしたら、一体どんな小説を書くのか。
私は作者として作品作りに対して実感していることは「テキストは作者を越えられず、作者を模倣しようとする」ということだ。
ここにどういった力を加えて錬金していくのか、伊藤計劃作品を仕上げた後に大きく脱皮するのか、ひとつ読者として楽しみができた。
今日はこの辺で。
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