秋に生まれ、名前の中に秋という漢字を入れて名付けられ、そして秋に逝った祖母。
90歳。
誕生日の2週間前であり、中学一年の頃バイク事故で亡くなった祖父の命日の2日前だった。
午前中には言葉も理解していて医者も当面のことを話していた矢先、昼頃に急変して亡くなった。
満月の日だった。
命日が近いことで親戚から家に花束が届いていたが、それを見ながら漠然と逝くような気がしていた。
病院から電話が来て母が駆けつけたが、直後には亡くなっていたという。
80歳近くでパーキンソン病をやり、十何年か戦っていた。
最後には胃ろうとなり、痰吸引を定期的にしなければいけなかった。
病院が変わる直前のことで、当人としても人の迷惑にはなりたくないと元気な頃に散々言っていたのを覚えている。
パーキンソン病が進行してからは自然に呼吸する強さの息で喋るから、ほとんどが聞き取れなかったが、私のことを心配したり、母のことを聞いてきたり、意識はしっかりしていたようだった。
割と高齢になってから水泳のインストラクターとなり講師として教えていた。
活動的な人であり、気配りが細かすぎるほど行き届いていたので、様々な人から愛された。
遠い親戚であるお坊さんも旭川に行って帰る途中という偶然で最後まで付き添ってくれた。
高僧で道外にも出ることが多く一ヶ月の半分もおらず、本当に来れてよかったと言っていた。
逝くべくして、逝ったとしか自分には思えなかった。
きっと祖父に呼ばれたのだろう。
今頃あの世で仲良くしているに違いない。
幸せな人生だったと見ていて思ったし、大往生であったとも思う。
秋田美人で90歳にして、ほとんど顔に皺やしみがなかった。
農作業も結構していたはずなのに、紫外線などもろともしなかったのはある意味凄い。
そのせいか死に顔もとても綺麗だった。
友引は火葬場がやっていないこともあり、弾丸スケジュールで身内のみの葬式となった。
それもまた家族が偶然にも全員揃っており、急逝が信じられない風だったが、それも祖母の意志のような気がした。
すーっと色々な事が繋がって、綺麗に逝った。
つくづく因果なものだなと感じた。
急に寒くなったせいで木々は色づき、山は紅葉していた。
祖父の骨は太く骨壷から熱が取れなかったが、祖母はスカスカでほんのりとあたたかいくらいだった。
命を使い果たしたのだなと感じ車の外を見ると雲間から光が射して山を輝かせていた。
もうすぐ冬が来るだろう。
真っ白な世界が。
追伸:
そして20日には早すぎる雪が降り積もった。
みぞれだった。
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