医者に怒鳴られ追い出されるようにして病院を後にした両親だが、その前からも気功の大先生から遠隔治療を受けていた。
「癌の気は消えていった」と家族は気功の大先生から聞く。
彼女はその大先生の家族が癌で死んでいることを知っているため、あくまで科学的客観性を欲しがっていたし義母にも科学的客観性から話をしようとしていた。
その時気功や霊の観点から義母は激怒。
「父ちゃんに死んでほしいのか」と言わんとばかりの言いようだった。
まず「死ぬ」という現象すら信じたくはなかったのだろう。
彼女は泣きながら違うと弁明し、あくまで科学的客観性を説明しようとしたが聞く耳持たずだった。
「看護師なんて長くやらなければよかった」
泣く彼女を抱きしめるしか自分は手段を持っていなかった。
これほど言葉が無意味な空間は存在しない。
容体は徐々に悪化し4月20日、他の病院で彼女の務めていた大きな病院への紹介状を書いてもらったはいいが、21日義父は用も済ませられなくなるほど脱力し失禁、救急車の中で吐血し、病院でも吐血しそのまま集中治療室に入る。
21日彼女に電話。
彼女の夜勤初日。
救急車で運ばれたとの連絡を受け彼女は勤務先の病院に連絡。
「誰か代わりの家族の人が行けばいいじゃない」
と師長から言われる。
勤務には午後4時に家を出なければならず、時間は迫っていた。
自分は嫌な予感がしており、
「万が一のことがあったりしたら一生後悔するから何が何でも休んで今すぐ行こう」と告げる。
今度は家族とのやり取りの後病院へと連絡。
以前の職場仲間がそこにいるとわかり、知っている看護師と挨拶をして病状を聞き、担当医も一緒に仕事をしていた人だとわかり連絡を待つ。
担当医から連絡。
「明日まで持たなかったらごめんなさい」
慰めを言わない先生だからと知っていた。
かなり緊迫している状況を聞き、師長が休ませてくれないからと夜勤にこだわる彼女に対し、
「全部今聞いたことを師長に話して人数が足りないとか代わりいないとか関係ないから用意して行こう」
彼女師長に連絡。
「この世に唯一の親なんで休ませてください」
泣いて懇願すると、ようやく休みの許可が下りる。
「何を用意すればいいのかな? 手が震えてる」
動揺する彼女に
「万が一のことは考えた方がいいから喪服と数日の着替えは用意して。今日行ける便探して行こう」
義母に喪服を用意していることは悟られてはいけない状況だった。
何よりも自分が葬儀に出席させてもらえるのかまったくわからない。
行って自分がどのように扱われるか、また罵倒の対象になるのか、自分にも覚悟が必要だった。
「今更何しに来たんだ!」と最悪地獄の責め苦を味わうことになるかもしれないことすら想像すると、胃がキリキリと痛んだ。
そんなことよりも彼女が生涯の後悔を残さないようにするのが先決で、21日中に羽田の便で行けることが決まった。
羽田から電車で茨城までは約2時間。
彼女の妹が駅まで迎えに来てくれた。
ついこの前まで「彼(自分の名前)と一緒に行くから」と彼女が言った時「誰?」と姉の旦那であろうとまったく興味を持っていなかった妹だ。
意外にも丁寧に挨拶をしてくれて後ろの席に座っていたが姉妹同士の話が弾むようで車内では多少リラックスできた。
日付も変わる時間に近づいてはいたが義母と義兄が起きていた。
「お久しぶりです」「初めまして」
挨拶は交わしたけれど怒鳴り散らされるような雰囲気はなく、義父が寝ていた部屋で自分は寝ることになり、多少の戸惑いを覚えながら寝ることになった。
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