人間関係には「距離感」というやつが必要だけれど、長い時間一緒に居ると当然地金が出てくる。
それはどんな関係だろうと同じだろうけど「え?」となりがちなのは、当然素が見えてきた時で、疲れてきた時や油断してしまった時などは特に取り繕えないため日常のちょっとした癖が出てくる。
それはある日友達を案内していた時色々案内し歩き疲れ、食べ物もたらふく食べて遅い電車でようやく帰ろうか、といった時待合室のベンチで休んだ。
高校生らしき女の子から、おばさんおじさん、あんちゃんまで六人ほどいた。
足も棒になっており痺れが来ているため電車の時刻になり立ち上がった時、いつも悪ふざけで言っていた言葉が出た。
「よっこらセックス」
友達もハッと気がつき「お、お前・・・やっちまったな」という顔をしている。
しんと静まり返った待合室に響く違和感のある言葉。
全員携帯を覗いていたけれど間違いなく、狭い部屋の隅々まで聞こえたはずだ。
私としては、もう知らぬ、と気にせず出たが、その時
「何故躾や日常の仕草やマナーが誰も見ていない所で大事であるか」
を痛感した一瞬だった。
出るんだよ。
もう体も脳も疲れ切った時、ふっと出てしまうのが日常の行為なのだよ。
そして一人では出ないはずであろう「よっこらセックス」が、ついそいつと一緒に居たことで出てしまったのだよ。
怖いものですね。
日常の仕草って。
地金と取り繕いはギャップがない方がいい。
家の中でも常々意識して自らの行為を正していくと、いざという時見た目も美しくなる。
例えば先日宝くじ売り場でスクラッチくじを買っていたおじいさんが居て、何度も高額当選をしたと言っていた。
そして当たったお金はすぐ孫のためやらなにやらで使ってしまうのがいいのだという。
常にニコニコしていて「お金は天下の回りものだから」とケロッとして言う。
当たるコツは「いつも来たって当たるもんじゃない。この日だっていう直感的に当たりそうな日に来ると当たりやすいんだ」ということらしい。
確かに運がありそうなので自分も追加で買ってみると普段当たらないような確立でくじが当たった。
運のある人の近くに居ると運が巡ってくると聞いたことがあるけれど、その通りなのかなと実感した瞬間だった。
それよりも、そのおじいさんを見ていてハッキリとわかったことがある。
私には、そのおじいさんの中に「お金を受け入れる器があるのだ」と思った。
それはお金に対してなんらマイナスの感情(恨み憎しみ偏見など)を持っておらず、常に幸せなものであり、かつ自分にも流れてくるものなのだと信じきっている垢抜けた気持ちがあるということ。
その垢抜けたお金への感覚が地金なんだなと感じたのだった。
色々な人を見ていてお金が集まりそうな人は笑顔がとても素敵だった。
人間多少裏表はあるけれど、少なくともお金に対して負の感情を少しでも抱く人にはお金とは縁がなくなる。
それは最良の友に対して不審の念を抱いたり、欠点ありきとは言えど長所は見ずに失態ばかり見つめて離れられるという人間に似ているかもしれない。
つまりは裏で友の文句を言うような輩には本当の友などできないのだ。
だからね、取り繕ってようやく幅広く対人が成り立つとか何かが成り立つ程度なら、結局全てを失う運命にあるんだよ。
年取っていけば尚更顕著になる。
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