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05/02

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2011

夢とかデジャブとか

ちょっと私は覚えておくことができず集中力が散漫でどうしても目に付くところにメモしておく必要があるのです。
メモ用紙とか日記とかは絶対どこかになくしてしまうので、ネット上とか一番使うところによくメモしておくのですが、この日記も同じような機能を果たしています。
だから思いついたことを書き留めておくのです。
一度他のことに意識がそれると、今まで考えていたことをすっと忘れたりして、思い出すのが何週間後とかざらにあります。
どうしても「入り込んだ世界」のことを考えないと、思い出すこともなくなってしまうほど記憶の層が薄くなってしまうので。

ところで、夢とかデジャブとか、昔よく見ていたのですが、あれってなんなのでしょうね。
夢から覚めて、自分の部屋だと認識するまでに何秒かかかってしまうこともたまにありました。
デジャブというのは私にとっては過去の見た時点では「予知夢」なのですが、だいたい「覚えていない」というのが特徴です。
逆に言えば「意識できるほどの夢」は実現したためしがない。
だいたい事が終わって、しばらくたって「あれ?」と気がつくのですから、何も役に立たない「予知夢」です。

しかし、よく考えてみるとこれは自分がひとつの「運命」のようなものを辿っていて、緩やかにひとつの地点に近づいているのかもしれないと思うことがあります。
私が小説家になろうとするメリットの中に「自分の人生で起こったことがすべて役に立つ」というのがあります。
これは「イベント=未来の可能性」の「可能性範囲」を狭めないということがいえます。
通常の場合、多くの人間の慣習や社会の中にありますから、そこに入ろうとすればするほど「可能性範囲」が狭まります。
この「可能性範囲」を広げるには今までの慣習や人々の思い込みを打破していく途方もない労力が必要になりますから、人間一人の力では限界があります。
現代社会は多くの選択肢を持っていますが人間が選択できる可能性もまた有限であるため「可能性範囲」には気がつきません。
つまり常に「自由」とは「無法」ではなく「人間が実行可能な行動範囲内」になるわけで、当然この「人間」は「自他」のことですから、互いに干渉しあっても自由だと感じる範囲が必要になるわけです。
それ以上は圧力がかかります。
完全な自由な範囲というのはたいがい他者と関わることで常に補償範囲外にはなるのですが、私たちはいつも「可能性範囲」を予測しながら動いています。

簡単に言えば「誰しも将来の自分」を思い描きながら人生を過ごしている、ということですね。

夢やデジャブに関しては現在では記憶の整理時に起こる錯覚のような説明をされていますが、最近「可能性範囲」をより広い意味で人間が感知しているのではないのか、とも思ったりします。
特に夢を見るときは「緊張状態」の時には絶対見ません。
見ているのでしょうが、意識できるほど強くはない。
それにだいたい体験した現実に近い夢を見たりする。

昔は夢の続きを見ようとしたら見れたし、リラックスしている状態で眠ると何かを見ていた。
これって突き詰めてしまうと人間の思考や魂が何に影響されてあるのか、という取り留めのない、かつ途方もない話になってしまうのかもしれないけれど、ひとつ話の前提として「夢と現実の区別がつかなくなったら人間は発狂する」ということを考えたことがあります。
これを応用すると人間は社会の中で物理現象や社会的な制約を精神で認識しながら「妄想と現実」を区別しているわけですよね。
そして社会の力や制約が強くなればなるほど「現実」のほうに重きを置く。
するとストレスで死んだりする人が増える。
「可能性範囲」が狭まる。
夢は見れない社会になる。

どうしてこの社会で見る実現可能かもしれない夢と寝ている時に見る夢って同じ言葉なんでしょう。
もともとは寝ている夢が近代になって将来実現可能かもしれないことを望む、というような夢の意味でも使われると書いてあるけれど、昔の人は「正夢」のようなものは見なかったのかな。
万が一、寝ている夢を正確に覚えているとしたら、人間が見る夢の中には予知的なものも含まれているのではないか。
そしてその予知ができるのは、人間が現実で体験したもの以外からも影響を受けていて脳がそれを認識しているが、あえて現実を重視するために脳が破棄している情報だとしたらどうだろう。

・・・と、妄想を繰り広げたからといって私には科学的なデータがないし、解明されるのはこれからのことだろうから、ここらでやめにします。

さて、今考えているのはこのことではないから、この日記はメモ代わり。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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