頭がごちゃごちゃしているのでメモ。
現在原稿用紙400枚程度のミステリー?を書いている途中。
5月末までに間に合うかどうか……。
時間線について考えていました。
シュレーディンガーの猫のことを考えていたのですが、その前にひとつの考えとして、「平常時における人間の運命や状態に関しては観測者の同意の多さによって決められている」というのが漠然と頭に。
小説のテーマとしては良いかも。
ただ、すべてのものは同時に同一に存在しているのではなく、人間という観測者がいる限り、人間の認識における順序があるのではないかと。
たとえば物理法則に関しては観測者のみでは抵抗し得ない。
しかし観測者となりえる人間に対しては影響しうる。
今は記憶や時間を平面のように考えています。
ただこれは自分の勉強不足からイメージを捉えきれていないので、間違っていると思う。
その平面が連続して連なっていて、時間線はずれた平面の重なった部分を通るために最終的には線に収束されていくというイメージ。
我々観測者たちは一寸先の未来を魔法のように変えることはできないが、未来における平面の存在をずらしていくことはできる。
そして、その未来を決めるのは「行動」だけでは足りない。
多くの人間が「信じる」、つまり観測者が未来を「決定付けて見ている」ということがなければ、未来を変化させることはできず、現在の流れを大きく変えることはできない。
マーフィーの法則や多くの自己啓発本にも書いてあるように、まず自分が信じなければならない。
その上で他人も信じさせるほどの「心の力」がないといけない。
己に「疑念」が少しでも存在すれば、信じた分と同じくらい反対の力も働き信心が相殺され、未来には何も影響しなくなる。
物理法則は観測者の同意よりも優位性がある。
言い換えれば物理法則以外のものには人間のほうが優位性がある。
人間一人が容易に未来を変えられない理由は、人間のアイデンティティや存在というものを「記憶」に頼っており、「記憶」は過去を観測できなくなることにより消え去る。
だからこそ自分を保つために過去の記憶を変えられない。
変えられない記憶の連続性よりも強い意思や力が加わらないと未来を変えることはできない。
人間一人が直接的に影響を及ぼせる人間は自分ひとりだけである。
時間の概念についてはまだまだ勉強不足。
[1回]
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