何回か恋愛を経験して失恋するのと、初心な気持ちで本気で恋愛して失恋するのとではショックの大きさが違う。
といっても、これは回数の問題ではなく、もしかしたら「本気度」の問題かもしれないが、私の場合はあらかじめ「ショックに備えておく」という気持ちがどこかに生まれてしまっている。
昔は本当に純粋な気持ちで人を好きになろう、一生懸命やろうと自分勝手な想いだけが空回りしていた。
その結果、うまくいかなかった。
それは結局自分のことが良く解っていなくて、だからこそ相手が自分を見てどう感じるのかまで考えが及ばなかった。
自分は自分のままでいい。
だがそれでは角が立つ。
ならどの程度でどうしていけばよいのだろう。
そんなバランスの取り方や、言葉のかけ方がまったくわからなかった。
今だってわかっているわけではないが、これは余計なことなのではないかとはいったん考え、のどの奥に引っ込めたりする。
相手にしたり言ったりすることで、相手に利益はあるかどうかをよく考えたりする。
多くの人は恋愛をすると見返るを求めるだろう。
もちろん自分が好きになり、自分が労力をかけている人なのだから、その労力の代償を無意識に求めだすのはしょうがないことだと思うし、当然の欲求だと思っている。
しかし結局それは恋でしかなくて、恋というのは常に自分の想いを中心にして世界は回っていて、自分と相手の間に起こるノスタルジーだからこそ相手そっちのけのファンタジーが膨らむものであると今では思っている。
見返りがなければ渇望が止まらなくなるので、失恋してしまう反作用がぐっときて、錯覚として自分は必要だったのか、何も残せなかったのではないか、あれをしなければよかった、色々マイナスのことを考えたりする。
つまり、自分では気がついていないが「見返りがなかったこと」を嘆いているのだ。
時として、別れた相手が不幸になればよいなどとも考えたりする。
幸せそうな姿を見ると余計に自分が惨めになる。
誰しも経験することだろう。
失恋における心の傷は、欲求に比例して高まる気がする。
その欲求の中には「こうだったはず」というものが多分に含まれている。
別れても自分は相手の中で大きな存在であって欲しい。
そんなことを考えるのは結構男性が多かったりするのだが、男性は哀愁の中に引きずり込まれやすい生き物なのかもしれない。
失恋の傷は時の流れが癒すというが、私はそうは思わない。
痛いものは痛い。
とんでもなくトラウマとなって残ったりすることもある。
少しだけ自分が成長して、すべての結果について、よしとしなければ傷など癒えずうずき続ける。
とてもとても辛いことだ。
意識せずとも過去がフラッシュバックし、様々な感情が渦巻く。
しかし残酷にも時間は進み続ける。
嫌になってくるだろう。
憎しみすら抱くかもしれない。
よかった時を何度も思い返しては浸りこむ。
男はそんな弱々しい面がある。
女々しいという言葉もあるが、女に対して女々しいとは使わない。
何故男限定の言葉なのかと考えると、まあ、こういう時はそうだよな、とも苦笑してしまう。
男は傷を背負って大きくなるものです。
今やこの時代には古臭い考え方かもしれないけれど、大きなものを何とかしようとすればするほど傷ついていくものなのです。
誰かを本当に守りたいのなら、瞳を上げなければいけない。
守りきれなかったのなら、次に恋愛をしたときに、同じ苦痛を与えてはいけない。
同じ苦痛を与えるということは、過去を無駄にする、もっと言えば成長していないどころか、駄々をこねて座り込んでいる子供と同じメンタリティーであると宣言しているようなものなのだから。
恋を経験して大きくなるかならないかは、時間の流れうんぬんよりも、起こった現実に対してどう心の栄養とするかなのだと私は思いますよ。
どんなに時間がかかろうとも、本当に好きだったのなら、一緒に過ごした想い出をあまり汚すことのないよう。
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