全国の天気予報ではどうしても札幌を見てしまう私ですが、京都で風邪を引き、ようやく治りかけました。
ひとまず無事です。
さて、日記を更新しない間、清川豆腐店で豆腐作りを見学させてもらったり、島原の付近におかきを売っている菱屋を見つけたり、京都を見学するには働いてみたほうがいいのではないかと、嵐山の花灯路というイベントにスタッフとして潜入したりしておりました。
もう、嵐山の冬の夜の気温はしっかり体に刻んできましたよ。
花灯路に関しては、ライトアップされた竹林や神社や寺を楽しめるのですが、ちょうど11月下旬ほどが紅葉の時期で一番綺麗なのですね。
札幌ではどっさりと散ってしまっている季節なのですが、さすが山の上だけあって、ちょっと寒かったです。
仕事は交通整理と道案内なのですが、竹林の中、外灯の下でぼんやり照らされながら雨の日半透明の合羽を着て声を出していたら女性の方に「こわーい」と言われてしまいました。
幽霊じゃねぇよ!
しかも時折私の足元を見る人がちらほらとおりまして、余計に思ったものでした。
道の先は天龍寺の墓地が見えますからね。
わかる気がするけど、幽霊じゃねぇんだよ!
お豆腐作りは「これでも今日は遅い時間」とは言っていましたが、4時半に起きまして見学させてもらいました。
うるかした豆を圧力釜で炊いた後、豆乳とおからに分ける作業中。
豆乳を汲み取っている作業中。
ちなみに熱いまま放っておくとたくさん湯葉が出来上がります。
にがりを入れて豆乳を混ぜた後固まるのを待つ。
重石を乗せて豆腐から水分を抜く作業中。
最後固まった豆腐を切り分けて水に浮かべます。
約この工程が1時間ほど。
たくさん注文がある際は4回ほど、この工程を繰り返すそうです。
お父さんは今年で66歳なんですって。
顔も赤々として若々しく見えましたよ。
昔は豆腐を作った後ゴルフにでかけていたそうですが、ご病気なされてからは体力的にもきつくなってきて注文を減らしているのですって。
前の日記にも書いたのですが、お父さんに万が一のことがあったら、この味は失われます。
今しか食べられないのかなと思うと、とても惜しい気がしますな。
大変人の良いお父さんお母さんですから「技を伝授してください」と頭を下げに弟子入りしたら教えてくれるかもしれませんよ。
一番苦労したのが「同じ味を作ること」だそうです。
見た目は簡単そうに見えますけど、結構繊細な作業をさらりとこなしているのかも。
40年もやってらっしゃるのですからね。
シンプルな材料なだけにタイミングやにがりの入れ方などでハッキリ味が分かれるのでしょうね。
ちなみに場所は
ここ。
そして島原。
ここもふらふらして偶然見つけたのですが、今は島原の門などが多少残っているだけで、島原という昔ながらのイメージは壊滅しています。
ほとんどが住宅。
お豆腐屋の豆蔵のお豆腐もおいしかったのですが、菱屋というおかき屋さんが収穫でした。
きちんと噛み砕いたときにお米の味と醤油の風味がする本格的なおかきなのですが、中でも「うすばね」という薄いおかきがここの売り。
凄い薄さです。
そしてネーミングもぴったり。
羽のようにふわりと薄い。
しかもしっかりパリッとしている。
ところで、おかきって焼いたら膨れるのに、どうやったらこんな薄さになるのでしょうね。
実はここもね、お父さんには娘一人で店を継ぐ人は決まっているわけじゃないんですって。
100年以上も続いているおかき屋さんなのに、もったいないですね。
選挙では「京都の文化」うんたらと叫んでいた人がいましたけれど、文化はこういうところから崩壊するのですよ。
そのうち「京都らしさ」というもの、つまり文化における技術や知識の伝承がおろそかになると、別に京都でなくともよくなるわけです。
名前だけ残って中身は近代文明に食い散らかされてスカスカでは、京都に文化があるとはだんだん言えなくなってくる。
建物だけ違う。
後は他の地域と一緒というのでは文化らしい文化、土に根ざしている文化とはいえないわけです。
こういうのは、失われかけてから問題提起しても遅いわけですな。
京都府や京都市が、「文化継承プロジェクト」でも立ち上げて、衣食住などにおける技と継承状況を逐一チェックするということでもやらない限り、そのうち滅んでしまいますよ。
特に人がいなければ成り立たない技術というのは神経を研ぎ澄ましてあぶりだしていかないと、廃れるのは本当にすぐです。
20,30年あればなくなってしまう。
ということで、少し話が長くなりましたが、菱屋さんは
ここ。
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