私には両親がいる。
二人とも今は健康だ。
母親は一時期精神病を患い、10年続くかもしれないと言われる中、奇跡的な短い期間で回復し、父親は大腸ガンから回復し、今は山へ登る趣味ができてきちんとやるほど健康だ。
私はぬくぬくと苦労もせずに育った。
生活の危機はなかったけれど、精神的な危機は数多くあった。
父親は気分屋で、イライラしている時は「触らぬ神に祟りなし」の状態だった。
それでも私の出来が悪いので、様々な嫌味を言われた。
母親に言うと「私なんかもっと酷い」と言われた。
うちの家庭は会話らしい会話がなかった。
会話をしているようで、結局は自分の話ができれば満足なタイプばかりだった。
もちろん私もそうだ。
私の出来がどれだけ悪いかということは、この先書く時期が来ると思う。
その時、きちんと告白しようと思う。
ぬくぬくと育っていると、自分が何の恩恵を受けているのか気がつかない。
わかっているようで、まったくわかってはいない。
言われると腹が立つし、「そんなことわかってるよ!」と重苦しい気持ちになった。
たいした挑戦もせず、「自分は出来るはずだ」とぬるい環境の中で成果も出せずにいた。
私は正直父親を憎んでいた。
それがある日酔っ払った勢いで殴ってしまったことがある。
「なんで産んだんだ!」と告白するのも恥ずかしいことを叫んで泣いた。
長年否定ばかりを受けて、それほど人間としてどうしようもないのなら、そもそも何故子供なんて作ろうと思ったんだ、と。
思い通りに行かなくて否定するのなら、それは物と同じじゃないか、と。
そんな思いがあった。
次の日気まずくて部屋の外にも出られなかったけれど、自分の中にようやく「親孝行」が出来たという気持ちがあった。
15年間、ずっと思っていたことを、ついに言った。
つまり腹の底から生まれて初めて本音を伝えた、ということになる。
今まで合わせて、機嫌を損ねないように、ただ縮こまって生きてきた自分が、父親に対して本音で物を言ったということが、何かとりついていたものが、少しだけ落ちたような気分になった。
父親は思うところがあったのか、一週間以上も温泉旅行に出かけた。
帰って来ると、嫌味は減っていた。
私は京都に半年間いて、三月の上旬に帰ってきた。
今まで中流階級の生活をしていて、一気に下流の生活をした。
肉体労働をし、来月の生活費の心配をし、節約をしながら、だんだんと生活を維持させることのみに意識が向かっていく、上昇する意識が生まれてこない環境を経験した。
一人でさえ支えるのもしんどい。
そこで私は「親のありがたみ」を知ったわけではなかった。
毎日欠かさず料理を作り、きちんとお金をやりくりしていく母親の偉大さとか、欠点のある父親ながらきちんとサラリーマンを定年までまっとうし、家族というものを飢えさせることが一切なかった父親の、言葉に尽くせぬ偉大さとか、確かに知ることは出来たが、本当に知ったのは「今の自分の限界」だった。
これでは、何も出来ない、何も守ることが出来ない、何の知識もない。
自分以外のもう一人でさえ、守ることなどできようはずがない。
なのに何かを作り上げようなど、思い上がりにもほどがある。
先日、山登りから日帰りで帰ってきた機嫌のよい父親からビールやおつまみなどいただいた。
機嫌のいい時は大盤振る舞いをしてくれる。
私はその時、深々と感謝しながら、ようやく父親の等身大の姿を見ることが出来た。
気が小さくて、大胆な事はできないながら、だからこそ、ここまでコツコツと堅実にやれた。
気分屋ながら何かを続けられる根気と努力を発揮することができて、きちんと私と母親を食わせることができ、会社勤めをまっとうした偉大な凡人。
今日の父親は達成感で満ち溢れているのだろう。
ならばその気持ちは、きちんと汲まなければいけない。
今日は、ありがとうございます、という気持ちでいっぱいだった。
私は、父親の達成感を満たすことのない子供だった。
ようやく、色んなことが見えるようになったのだと悟った。
そのことを友達に話すと「同性の親ってやっぱり意識するものなのかねー」と話していた。
「越えられない部分ってやっぱり出てくるのかなー。女ってさ、子供を持つとようやく母親の気持ちが少し理解できる。親を超えるのが子供とかなかったっけ?」
私は思う部分がある。
親と子は、越えられない部分と、超えていってしまう部分で相殺されるのではないか。
その二つの差し引きゼロになって、ようやく対等になれるのではないか。
私はまだそこまではいっていないが、今自分が成長しているという確かな手ごたえを感じる。
ようやく、34手前で、情けないながら人間らしいものを少しだけ手に入れた気がする。
私はこの先、守らなければいけないものがたくさん出てくるだろう。
その時、家族のこともどうにもできないのに、まったくの他人を、まったく自分とは関係ない物事を、守り抜くことなどできるのだろうか、と思う。
それは険悪な状態や、物理的な障害を一切クリアにせよ、ということではない。
心の中だけでも、家族に対して決着をつけなければいけない時が必ず来るのだ。
そうしなければ、どこまでも引きずられ続ける。
世間で言うところの「親孝行」が出来るのは、きっとこれからでしょう。
今しばらく時間がかかることながら、よい成果が出るような、そんなわくわくした気分があります。
闘志というものを少しだけ学びました。
この炎が消えぬよう、私は進んでいかなければいけない。
ようやく色々見つけてきました。
ありがとうございます。
私は両親がいなければ、この人生は歩んではいなかった。
何故なら、出来ないやつの気持ちがよくわかったんですもの。
何故ダメになっていくかの事細かな心理状態が理解できるようになったんだもの。
それはこの先、必ず誰かに対して生かされるでしょう。
様々な家族がいます。
信じられないような下衆な家族もいる。
それでも、自分が産まれてきたことを呪うことがないよう、せめて自分がされたことぐらいは、嫌だったのならなおさら、誰かに対してすることのないよう、自らを律していきたいものですよね。
子供から大人になって、かつての大人がしていた過ちを、自らが実践してしまうような愚かな人間になってしまっては、きっと小さかった頃の自分が恨むに違いないのです。
恥ずかしい人生を歩んできたものです。
より、よくわかりました。
ようやく、這い上がれそうです。
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