使い古された言葉だ。
だからと言って当事者にとってその言葉は陳腐になるどころかよりいっそう輝きだす。
はたから見たら、どんなに常軌を逸していても、恋に落ちたものを止める術はない。
恋をしている人がいる。
文章を書く人で、ブログも書いている。
去年の末からだから、結構進んでいるだろうと思って見てみたら、まるでジュリエットだった。
月に向かい想い人への言葉が詩のようにすらすらと出てくる。
とても作為に満ちた文章が到達できない次元の文章を自然と書いている。
それを読むと、自分の文章がいかに稚拙で、いかに低次元かを思い知らされる。
人生に一度でも、あれほど燃え盛るような激情で切なく甘い香りに満ちた文章を書いたであろうか、いや、ないだろう。
一秒でさえも時間の重みを感じ、自分の心の艶やかさを歌い、世界は星空を流れる流星のように輝きだし、きらめきに満ち溢れて華となる。
想い人の大きな存在が体中に満ち、触れたひとつひとつを噛み痕のように肌に残し、いつまでも愛しく感じる。
たとえ月の光にかなわなくとも、願いを背負った流星の、尾の先にまで満ち溢れた祈りは、どんなに飾り立てた言葉さえもかなわず、宝石と灰のような絶対的な差であり続けるだろう。
装飾することがいかにくだらなく見えてくるか。
それだけ人に全身全霊をかけられることを、心からうらやましく思う。
同時に、自分がその域にまで達していないことに、作家失格のレッテルを貼られても何一つ反論はできないだろう。
私も昔愛されたことがあった。
わけありの人に。
でもそんなことはどうでもよかった。
猛烈に、愛された。
今も生きていればきっと私のことを考えていると断言できる。
しかし私はその人と同じように、それ以上に愛していただろうか。
愛していたつもりだった。
時間が過ぎ去った今となっては、自信がない。
凄い人だった。当時精神的にも使い物にならなかった自分に献身的に尽くしてくれた。
私の作るものを愛してくれた。
私の作るものを名前を変えても見抜く人だった。
あんなに愛されたことはなかった。
文章を書くのも、その人の願いがこもっているから続けている。
それに信じてくれた人が正しかったことを証明するためにも続けている。
売れないから、食べていけないから。
そんな都合でやめてしまったら、自分も他人も裏切ることになる。
それは人生においてとても悲惨なことだから、もう繰り返したくない。
恋をするその人を、うらやましく思う。
自分を信じきっている。心から、疑いなく、純粋に確信している。
自分は恋をしている。自分がどんな状態にいようと、この気持ちだけは真実。
止められない衝動がありとあらゆる魂の泥をそぎ落として輝かせている。
素敵なことだと思う。
私も恋をするような情熱で人と向き合わないといけない。
それができなければ、作家になる資格すらもない。
ブログを書いているその人が次に私の元に訪れる時きっと別の目で私を見るようになるのかな。
未来には、いつも、輝かしいものが待っている。
そう思って生きていきたい。
[3回]
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