世界の最高指導者のリンチや断末魔まで映像で見れるようになった。
インターネットと情報、社会情勢と情報、覇権と暴力、高度に洗練された洗脳戦。
これから起こることとは何だろう。
恐らく端末の制御ではないだろうか。
決められた端末からのアクセス。
これによって最初から情報が制御できる。
文学はこれからどうなっていくだろう。
より高度な心理戦と生贄の多さで世界は動くかもしれない中、現実から目を背けることが文学になりえるのか。
きっとこれから真面目に文学やろうと思っても採算は取れないだろう。
本当に文学をやろうとしたら作るコストと回収が釣り合わない。
エンターテイメントばかり流して無知な人間を量産するような国家に未来はないし、ひと時の安らぎといえようともそれは有意義なものでなければならないと思う自分はきっと周囲の流れと逆行していくに違いない。
一国を支配してきた人間の哀れな末路が平気で映像で流れる時代。
そのニュースが日本国内で流れる時には、かなり生の情報とはかけ離れている。
今原発事故の問題と闘っている最中、国内のニュースでさえ何がなんだかわからない。
中国の食品や国家情報をバカにしていた日本人がそれ以下の状態にある。
そして、電子書籍産業は縮小の一途を辿る、その理由はまさに日本人が読書をせずバカ書籍ばかりが売れて活字なんて読みもしない、想像力は減少するばかり、滅びるしかない、という記事を読み思うことがある。
国家を破壊するのは他者でもなんでもない。
自らを「無知」であると悟れる「教養」なのだ。
学ぼうとする意識の低い人間が、あらゆるものを食いつぶしていく。
いや、国家でなくともよい。
もっと身近なレベルで集団とか個人とか、そういう尊厳を破壊していくのは無知そのものだ。
その無知さが他者を攻撃し、破壊していく。
何かを狂信的に信じることも、それに繋がるかもしれない。
私たちはあらゆる壁を持っている。
自分を守る壁でもあるが、他者を圧迫する壁でもある。
これからの文学は何をすべきだろうかと問われた時、この日本のみを眺めた場合、児童文学作りかなと思ったりする。
読みやすさ、ジャンルごとのカテゴリーわけされた編集術が必要になる。
これからは「何歳向け」なんていうことはできない。
このぐらいの読書レベルの人向け、じゃないとダメだと思っている。
そして文学は常に人の想像性を刺激しなければいけない。
それが活字の役割だ。
最初はそこから。
そしてゆくゆくは、この世界の欺瞞と暴力性を暴き立てなければ、本当の作家とは言えない。
そんな気がしている。
きっとその内容は一級のエンターテイメントとして捉えられるだろう。
もしそうなった時、心底悲しい思いで他人を見ることになるのだろうな。
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