この言葉を聴いたとき、嫌悪感を感じた。
その人間にとって必要な優しさか不必要な優しさかは、当人にしかわからなくて、当人にしかわからないことを他人に向かって堂々と言える心境が私には理解できなかった。
人は自分がどれだけ傲慢になっているか普通理解しない。
どれだけ壊れやすい世界を抱えていようと、それは絶対の免罪符にはならない。
必死に自分の世界を守り、他人からの世界観を理解しようとしない限りは、いくらでも言えるのだ。
あなたは私の事を何もわかってない。
つまりは「何も知らないくせに」ってやつだ。
昔は自分もそうだった。
何を抱えているのか説明するすべを持たず、説明しようとしても潰された。
だから余計に捻じ曲がった。
だが、捻じ曲がった精神とは少し違って、自分が優しさや愛情を選んでいることにも気がつかず、他人に向かって何の疑問も持たずに、自分が弱いからと言えるその言葉は、あまりにも思い上がっている。
人は自分の有利な場所から物事を提案しがちだ。
自分がなるべくリスクを負わない方法を選び取っている。
それは言葉の端々に出てきて、相手を思いやっているようで、結局は自分が不利なことにならないよう壁を張り巡らせている。
心の等価交換をしていないのだ。
例えば世の中にはちょっと通常の耐性ではない心を持っている人がいる。
多少言葉に語弊があるが「よく生きていられるな」と思うほど弱い。
強くなれとつっけんどんに言うつもりはないけれど、それならばせめて自分の弱さを盾にしてぶつけるあまり、他人を傷つけていることもあるのだということを知って欲しいと思う。
そうして自分が誰かに対して何も言わない代わりに、他者から言われたことに過剰反応する人もいる。
だがそれは他人をよく知る術ではないと考えている。
人は気の合うもの同士で繋がりあう。
感覚や価値観の合うもの同士で集団を作っていく。
私は時折壁にぶつかる。
価値観がまったく違うもの同士は集団を形成することは出来ないのか。
水と油のように分離してしまうのか。
いや、同じにして混ぜ合わせる必要はないにしろ、なんとかして理解しあう方法はないものか。
結局は、自分が不遜にならないように気をつけるしかないのかもしれないな。
他人は変えられないのだから。
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