異性に対する執着をなくし、去るものは追わないことにした。
そのかわり、自分のすることにも口出しはされたくない。
私の考え方は、恋人同士だろうが、結婚していようが、他の人を好きになることがある。
それはいろいろな条件が重なるとはいえ、ひとつだけ言えることは、「その人間が相手を繋ぎとめておくだけの魅力を備えていなかった」ということになる。
だから私の場合も、ふられるとしたら、たかがその理由でしかないことを己に常に言いつけてある。
男と女の間にルールはない。
互いにその心を知り合い、そして歩み寄り、掛け算や足し算のような作用を及ぼさなければ、せめてプラスマイナスゼロの関係でなければ、ただ搾取しあい、傷つけあうだけの関係になる。
そんな関係が意味をもたらすというのだろうか。
せめて、そこに救いを与えるとしたら、それは子どもの存在だ。
子どもが、将来親に対して大いなる恩恵を与えることがある。
昔から親に感謝せよと言う。
感謝もできないような人間は人でなしや鬼畜とも言っていいのかもしれない。
今の時代は、親が子どもを殺す。
子どもが親を殺す。
私はその原因は、心よりもものを重視しているせいだと考えている。
形だけを見て、心を殺す。
殺伐とした時代に、豊かで伸びやかな人間は育たない。
理屈を超えた苦痛が、そこにはある。
親子でさえ、そうなのだから、男女関係で心を無視すれば、もはや破滅しかない。
その宿命に常にさらされている。
法や道徳さえも、ここに再生を与えることはできない。
あたたかな思いのみが破滅を救う。
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