ねえ、真実って個人にとって、そんなに大事なものなのかな?
通常の人間は日常生活の中で世界の真実や未来に起こりえる確率の高い真実、はたまた世界の支配者が目論む人類社会の結末など知りたくもない。
僕たちは生きることで精一杯なんじゃないのかな?
生きることってよりも、むしろ個人的でさらに繋がっている、確実な「縁」の中にこそ自らの問題は発生している。
じゃあ「縁」の中に問題があるのなら、元々あった日本的な「縁」はズタズタになったのか。
ああ、たぶんズタズタになったのだろう。
僕はこの日本では村社会のコミュニティこそが最も日本人に馴染むシステムなのではないかと薄々考えていた。
つまり、狭いコミュニティだけで成り立ち、自給自足をし、余ったもので足りないものを交換し合うという原始的なコミュニティであり、コンパクトに学問やライフラインの問題が解決できるという「運命共同体」のようなものだ。
今は住宅がめっきり外国のものになってしまい、日本家屋にあった「土間」のような家主や家族と他者とを結ぶ共同スペースが家屋の中から消え去ったことにより、コミュニティも崩壊したということを言っていた人がいたけれど、今や全てのコミュニティが点在して存在するのみで、実生活の中に積極的に入ってきたり、気軽に入ってお茶を飲んで雑談して帰るというようなものは極度になくなってきた。
都市社会では情報が重要視され、文明社会の住人は情報に振り回されるようになりがちだ。
だけれど僕たちが一番危機に思うことはお金の問題だったり、自分自身の交友関係の問題だったり、はたまた年取ったら健康のことだったりしないかな。
政治、国家、世界のことなんて真剣に考えて取り組んだりする?
取り組める人は幸せだけど、ほとんどは、そんなものとは程遠い一般サラリーマンだったりする。
しかも大企業とは程遠いようなところにいることがほとんどだ。
僕は「たとえサラリーマンであろうと、日常を変えることは実は簡単なんです。僕たちのようなちょっと意見を持った人が10人居酒屋で定期的に出会って話し合えることができれば地域から変わることができる。ただし、それをやるにはプランナーのような人が必要であり、その人が周囲の意見をまとめ、具体的なアイディアとして計画をまとめていけばいいだけの話なんです。自分はこうだからといって、何もしないのは正直考えすぎだと思います」と言ったことがある。
今都市に生きている人は孤立しがちな環境下にある。
何故なら、金さえあれば全て整うようなサービスが揃っているからだ。
仕事に出て、金稼いで、生活や趣味に使う。
インドアの趣味だったら余計に家から出なくていい。
人とのつながり方が変わったって言われれば、それまでなんだけど、個人主義がより発揮できる環境が整っている今、そしてどんどん整う未来、他者のために何か行動を起こしたりしますか? 何か行動する気になったりする?
絶対そんなことはない。
ほとんどは自尊心を満たすがための行為。
そうじゃないのならば、他人に奉仕できますか?
まったく自らの利益にならないようなことでも、他者の利益、将来のためになるのならば、懸命にできますか?
きっと、この世界の真実ってのは、個人が個人を守る限り、個人が個人を主張する限り、絶対的に支配者の影響下であり続けるってことだけはわかる。
何故そうなるかって? 我欲をうながしたり利用すればいいだけの話だからさ。
だからその支配者たちが恐れているのは、僕らの善意であり、奉仕の崇高な精神であったりするんだ。
当然そうはならないとわかりきっているから、安心していられる。
でも、そんな世界の支配者の話なんて僕たちにとっておとぎ話にも近いことだ。
ニュースでやっている凶悪事件や児童への危害でさえも、実はあまり関係のないことなんだ。
何故って?
近場のところで起こっていることじゃないから。
つまり、自分の生活圏内の問題とは程遠く、いかに真実じみていたとしても、地域の問題じゃないからだ。
地域の問題じゃないからどうして児童虐待とか凶悪事件が関係ないかって? 日本がおかしくなっているだろうって?
そう思うんだったら、地域の人たちと活発に触れ合おう。
スポーツや趣味を通じてや子供たちへでもいい。
なんでもいいから関わってみようよ。近くに飲み屋があったりするなら食べたり飲んだりすればいい。
それでこの地域のことを訪ねればいい。
何か問題が起こっているとすれば、遠くのニュースに出てきたようなことじゃなくて、もっと個人的なことだ。
だとしたら、僕たちの本当の問題は足下の土、つまり地域性や個人的な環境から発生する問題であって、遠くの自分が住んでもしない場所から発生していることじゃない。
政治経済の問題は遠くの問題だが自分たちの生活に影響するじゃないかって?
僕たちの国は民主主義だよ? 国会議員や市議会議員などは自分たちで選ぶんだよ?
専門家に任せればいいじゃないか。
ねえ、僕たちは地域から住民を育てているかい?
選挙で国会議員などが選ばれるんだったら、地域の声を届ける議員さんが傍にいるかい?
ただ一方的じゃなくて相互に助け合えている関係を築けているかい?
皆個人個人しているからこそ、奴隷に言いつけるかのような汚い言い草で物を言いたくなるけど、それはやっちゃダメだ。
僕たちは共同空間を見直し、地域のあり方を見直し、そして、僕たちが安心でき、かつ信用できる「運命共同体」を作り上げるのが、最も真実に近づける気がするよ。
だって僕等の大事なものは、己が感じている五感の先にあるんだもの。
[2回]
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