TED「
ベル・ペシ: 夢をダメにする5つの方法」
・一夜の成功を信じること
・誰かが答えを持っていると信じること
・成長が確実になった時にそこに安住すること
・失敗は他人のせいにすること
・結果が全てだと信じること
内容はリンク先でご確認くだされ。
特に自分の体験上一番の毒になるのは、何かの原因を他人に求めることが最も成長を阻害し、心を弱めていく。
これが癖になると、ほとんど末期状態になり手がつけられなくなる。そしてドツボにはまる。
例えそれが理不尽で我が身には、ほとんど責務がないような事情においてもだ。
正直、そういう危険な臭いを察知できなかった自分が悪いし、実は招きよせているかもしれない。
例えば、物騒なところって雰囲気でわかる。人がどうにも怪しいし、雰囲気も少し退廃している。自分の素行が決定的に相手に害悪をもたらしていることに気がつかない、など。
人との付き合い方っていうのもそうだし、誰とどう友好的に手を繋いでいくか、そうしないのかを選ばなければトラブルに巻き込まれる。
気がつけば様々なことについて自らを見れるようになるが、主観的に全てを自分自分していたら、大事な事には一生気がつかないだろうし、例え自らのことであろうと転じて他者を責めるような真似をしていたら、恐らくは一生人に見向きもされないだろう。
ようは不幸を自分から招いている。
それは不幸なわけではなく、不幸が好きなだけだ。
だが、強い光があまりにも眩しくしんどい時もある。
本当にきつくて、暗く落ち着いていて誰の思念も入らないような場所がいい時だってある。
先日、こう言われた。
「ご自身が気づいておられるように自我に”偏執”monomaniaしているわけです。私は、そういう”偏執”があることを他から指摘されたり、体験的にどういう酷い目にあうのかを通過したことが多いので、ああそれは憑きものがついているのだな、というふうに眺められると言いたいわけです。・・・・・・たぶんその憑きものが語らせている偏執のエネルギーが語らせている表出だと思います。」
この言葉で「健全」ということがいかに凄いことか、と思った。
「自我への偏執によってきちんとモノを見られないようでは、もはや欠損に近い。無力感を抱かれているのは、その偏執の逆転写にすぎないと思います。」
というような内容も言われた。
別に芸術家だからその偏執をこだわり通すとも言わないし、何をどうすれば地球的な視野に立ってモノが見れるのかも今はよくわからないし、実は眼前にいつだってある小宇宙でさえ見抜くことはできない。
私の目は常にぼやけている。
大事なものをいくつも見落としているし、経験が足りない、人との対話が圧倒的に足りないことを有名な芸術家からも指摘された。
と、まあ足りないものばかりを考えると、本当に足りないように思えるのだけれど、常に今あるもので組み立て足りないものは補っていくしかない。
今もっているものが今動ける範囲。
人との繋がりも、あらゆる機会も、すべてそう。
あらゆる環境は自らの手で覆すことができる。
たとえどんなに不幸であったとしてもだ。
人は自分に固執しなければ見えてくるものや掴めるものが本当に数多くある。
今まで不幸だと思っていたものも転じて幸福にできる。
「他人は何を経験したかではなく、何を乗り越えてきたかを見る」と言っていた人がいた。
乗り越えてきたものを見るほうが、能力的にはよく見れるし、そしてその人間の自信もわかる。
私が指摘されたことはそのこととはまったく違うことだったのだけれど、不幸への道標を示すのも自分だ。
地道に毎日積み上げていれば、本当に沢山のものが出来上がるのに、その労力を惜しむ人のなんと多いことか。
自分だってスピードが遅いほうだし、三日に一回なんてペースでもだいぶ進める。
そんな程度でも相当な量になる。
心配事はまだ目の前で起こっていないのなら、未来はいくらでも変えられる。
そしてその力があるしつけられるということを信じて、這いずってでも前へ進むべきだ。
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