三つ子の魂百まで、ということわざがあるのだけれど、わりとこれって当たってて、ネットでも現実でもそうなのだけど、道理をわきまえてなくて不愉快な人ほど出しゃばってくるっていう性質がある。
だからまるで年上のほとんどが若者に害をなすような感覚、もしくは若者の成長を阻害するような存在として見てしまいがちだけれど、まだ何十という数ではないけれど、何人か見ていて、さらに生い立ちなどを知っていくにつれ、どうにも昔からその手の性質はあったのではないかと確信できるようになってきた。
また、年齢が行くにつれて子供じみてくるのもあるかもしれない。
なんというか、自分なりに楽に動ける方法を長年の人生で確立しているので、癖は上塗りされ、考え方は固定され、行為は冒険を忘れ、体力は衰えるわりには頭はしっかりしていたりするので口が先に出たり、じれったくなって苛立ったり。
特に何がいけないかって、知っているものが多くなればなるほど、それをベースにして物事をみるから、とにかく見下しがちになる。
自分だって今あるくらいだから恐ろしいことだ。
「こいつはまだ何も知らない」
という目で見るし発言する。
自分でも何故なんだろうと思いながらも、だいたいこのパターンだなっていう範疇から人が外れなかったりするから、ぱっと言ってしまったりするけど、この手の姿勢をもっと疑った方がいいのではないかと思っている。
もっと怖いのは年を取って態度が硬化するのか、軟化するのか、どうしたらもっと色んな人たちと寄り添えるのだろうと考えたり。
人は無意識の中で今まで自分が生きてきた、行動してきたパターンを是とする性質があって、それが固まってしまうと目の前の人間を上手く観察できなくなる。
つまり相手のことを無視してでも我を通すようなことを平気でやりのけるし、それが年長者の特権と言うか親切心だと思い込んでいる人も多々いる。自分は間違っていないと自信満々なのだ。
自分が知っている素敵な大人っていうのは、本当に腰が据わっていて、安易なことでは否定的な言葉を吐かない。
そこに誰がいても真摯に向き合うし、相手の可能性や、物事の可能性をじっくりと共に探っていく。
幸運だったのは、自分がその手の大人に出会い、一緒の時間を少しでも過ごせたということだ。
で、かく言う自分はというと、情けない限りだ。
それでもなんとかして自分が活躍して団体が育っていくといいな、なんて思ってるけど、まだまだすぎる。
努力が足りない。
還暦過ぎるとだんだん子供になっていくと言われている。
だから性格が変わるなんてことはまずないと思ったほうがいい。
老害なんて言われている人たち。
その人たちに安易に老害、老害と使う人たちが、老害と言っている人と同い年になったら、あらまあ不思議。
その人たちは立派な老害になっている。
当たり前でしょ。それが今生きている自分の基本的な他者への姿勢なんだから。
だったら年取って変わると思います?
今度は若者に対して誹謗中傷の類の言葉が向けられるに決まってるんです。
そういうお友達は若ければ注意するといいし、年取ってたら友達づきあいは遠慮した方がいいと思いますね。ええ。
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