若いころは物事の整理の仕方がわからない。
特に思考にいたっては、分別というものを身に着けるまで結構苦労をする。
いい年の大人でさえ過ちを犯すときがあるのだから、考えるとは本当に大変な事だ。
しかも考えなければどうにもならない時がたくさんあるのだから生きるとは苦労の連続だ。
自分の価値観が強すぎると、「その社会や集団における慣習」、「個人がどういう立場で物事を判別しているか」を、自らの「我」によって判別しがちだ。
相手のそれはそれ、自分のこれはこれ、それとこれが混じった時は「郷に入れば郷に従え」という考えにはならなかったりする。
その「郷」の存在すらわからなかったり。
自分がうっかり相手のテリトリーを踏みにじっているのにも関わらず気がつかないなんてことはよくある。
相手が平然と自分のテリトリーを踏みつけて、こちらは怒っているのに「あんたは何怒ってるの。本当にわけがわからない」と言われてしまったり。
たとえば壁にぶつかって、あれこれ悩む。
その悩みの中には無数の矛盾が絡まりあっていて、解けない状態である。
相反する数々の価値観があって、自分は本当はこうしたいのに、出来ない、でもした時はこちらが絡んできて、かといって捨てても難がある。
あれこれと時間を費やして言葉に表わしてみると、酷い矛盾した文章が出来上がる。
冷静になって見直してみると混乱っぷりが手に取るようにわかるのだが、書いている時はそれが気持ちのすべてだったりする。
そこで矛盾を指摘されても逆に噴火してしまうことだってある。
常日頃整理をしていないと、自暴自棄になってしまうほど解けないものが出来上がっていたりする。
矛盾は思考するゆえに発生することもある。
例えば憧れの姿がある。
理想の形がある。
実はその「夢のようなもの」は想像の世界で成り立っているから、そこに対する苦労がわからなかったり、掴み取るのにどれほど血反吐を吐かなきゃいけないかなんて想像すらできないだろう。
それで実際に掴み取ってみれば全然きらびやかではなく、大変で維持すらできなかったりしてきて、弱音を吐き、ついには捨ててしまったり。
これは矛盾ではなく現実との乖離かもしれませんね。
空を飛ぶ鳥に憧れるような気持ちかな。
楽をしたいと願っているのに鳥の現実は人間よりも厳しいっていう。
後は心の癖が勝手に引き起こす矛盾もある。
実は幸福を望んでいるはずなのに、ネガティブな思考の癖が直らず、幸福に対して辛さを覚え捨ててしまうというのも、実はよくある話。
実は矛盾というのは、結構この「心理的な癖」が引き起こしていることだったりもする。
それは「思考の癖」も入るのだけど、新しい価値観を受け入れられない、あちら側からどうしても考えられず自分だけの立場であれこれ悩んでいるから詰まってしまったり。
結構、あ、ひらめいた、すっきりしたっていう時は、だいたいの「見通しがついた」時であって、それは不明だった知らなかったものがハッキリと見えてこそ「すっきり」が生まれてくるのだから、受け入れられないものでさえも知ろうとする努力は絶対に必要になってくる。
悩んでいる時、考えてみてください。
悩みの種になっている対象側のこと、だいたい説明できますか?
できないから悩んでいるのでしょう。見えないからまたよくわからなくなるのでしょう。自分の考えの中でぐるぐる回ったりして。
特に相手側に問題があるのではなく自分に嘘をついていることで作り出している矛盾はさらに辛いと思います。
考え事がどうしても苦手な人はバラバラの単語でもいいので思いつく限り書いてください。
そして単語を線で繋げて、単語と単語を繋ぎ合わせているものは何かを線の上とかに書いていくと、どれだけ自分がごちゃごちゃ複雑な事で悩んでいたかが可視化できるようになります。
自己矛盾って辛いですよね。
そういうのがある人って、問題は必ず自分側に多くあるものですが、自分と向き合うのが嫌だから一生懸命外に向かって理由を探していたりするものです。
自分視点止めてみると、わかることもあったりしますよ。
もし言葉にするのが苦手な人は、今日の行動を単純に日記にするのもお勧めです。
それなら記憶力さえしっかりしていればできることですから。何故を考えるのを後回しにして、単純に自分のしたことを書いていくのです。
人生迷いばかりですから、結構大事な事なんですよ。
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