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表現の自由・言論の自由

「非実在青少年」問題とは何なのか、そしてどこがどのように問題なのか?まとめ - GIGAZINE


東京都の「青少年健全育成条例」を受けて大阪府の橋本知事も「大阪の実態を把握して規制の必要があるかどうか見極めたい」とのことだ。
その上で橋本知事は「表現の萎縮(いしゅく)を招く」として反対しているが、橋下知事は「表現の自由は絶対ではない。失われる利益が著しく大きいなら規制もある。子供を守るのが大人の責務で、表現の自由だけで議論を封鎖するのはおかしな話」との話だ。

我々は自分の利益を守るために都合のいい理屈を持ち出す。
新聞社や雑誌社の掲載内容で裁判が起こされると「言論の自由が」と言い、創作物への規制が入りだすと「表現の自由が」と言う。
当然なんでもやっていいわけではないし、節度は守るべきだ。

子供を性的な対象として下劣な犯罪が起こることは、健全な大人としては望むものではない。
当然国家の未来を育んでいく子供の将来に不穏な影やおぞましい不安を解消するために、「悪」となるものは「零」にしたい。
その気持ちは日本国民としての自覚があるものならば、誰もが考えていることで犯罪を助長したいわけではない。

しかし人は人の思い通りにはならない。
私は政治の話をしたいわけじゃない。人の心の話をしたい。
人の心には縛っても縛りきれない影がある。
当然光もある。
人が欲求というものを持ち、欲望を排除しきれない動物であるならば、規制ではなく隔離して泳がすべきだ。

「創作する」ということの根本的な欲求として「昇華」がある。
これは「言論」においても似たようなものであると思う。

「昇華」とは「社会的に実現不可能な目標・葛藤や満たす事が出来ない欲求から、別のより高度で社会に認められる目標に目を向け、その実現によって自己実現を図ろうとすること。(Wikipediaより)」だ。

今に始まったことではないが新聞社の主張もひどいし、創作現場における性内容も度を越したものがあるのは事実だろう。
あれをまともに受け止めず「昇華」の一種なのではないかと考えると、今までとはちょっと違った見方ができる。
「昇華」する手段を我々が持っているから、与えられているから、ある意味(ひどく悪辣でも)安心していられるのではないだろうか。

しかし「規制」によって「昇華手段をなくした」人間たちは、どこで昇華しだすのだろうと考えるとおそらく実行手段に傾いていくと思う。
だからこそデータでも性表現の規制が厳しくなると犯罪認知件数が増え、性表現を解放すると減っていくのではないだろうか。

私はいつも思う。
そのような性表現の規制の前に、もっとクローズアップしないといけない部分があるのではないか。
それは都市社会が抱えている根本的な欠陥である「個々人の分裂化」にある。

人が多いのに寂しいと感じる。
すれ違っていても他人同士。
大都市が抱える人間の繋がりの希薄さは妙な冷たさを感じる。
東京を歩いていると変な気持ちになる。
「なにしているの?」「どうしてそんな顔しているの?」
心配になって声をかけたくなる人がいる。

「規制」の目的は「人々を健全な状態に戻す」というよりも「政治理念上、おぞましさを感じ人権を踏みにじったような下劣な創作物や、性的搾取・不健全と見られるような行為からは完全に決別しております。我々は一切認めません」という立場を明確化したいだけなのではないだろうか。

この規制は「気持ちの上」では解決される。
が、一方で「気持ちの上」では解決されない人々が生まれる。
「昇華」の手段を失った人々だ。

我々には自由がある。
当然悪辣で下劣極まりないことを言う自由もあるし、犯罪を起こす自由もある。
だがその代わりに社会的なペナルティーがある。
刑事法がある。民法がある。著しく人の気持ちを踏みにじり、実力的で排他的で暴力的な行動をする人間を人々は許容しない。
一部の人間が特権を利用し、あたかも「己と対にあるもの」の意見も気持ちも推し量らず一方的に規律をかして従わせるのは「健全な良識」を持っているとは考えがたい。

悪を認めろということではない。
しかし対にある思想も尊重してこそ、初めて健全だと言えるのではないか。
だから我々は「正しいこと」を実行できる。
我々には選択する権利が与えられているから健全な目を養える。
悪いものは常に排除されていく。
それは人々が苦痛を好まないからに他ならない。
何が苦痛なのか、それを判断するのは一部の人間の思想ではない。
この国に住まうすべての人々だ。
たかが1人の人間が100人の気持ちを背負えるはずがないのと同じように、一方的な主観から規制を行ったところで、人々の中には許容しない人間が多く出るだろう。

我々の本当の自由は「昇華」の中にあるのではないのか。
「昇華ができる環境がある」ということが、やがては尊ぶということになるのではないだろうか。
現実的な暴力行為ならまだしも、創作物や思想にまで「規制」を及ばせた場合、「昇華」はどのようになせばよいのか。
「昇華」は言わばゆくゆくは「浄化」となる。
「浄化」の機会が与えられるから、己の中の悪もなくなり「尊重」する気持ちが始めて生まれる。
衝動すらも発散させる機会を奪っては、人の心の中には腐ったものが育っていく。
だから今回の騒動の発端となった規制派の中にも、ひどく偏った、己の「正義」を信じて疑わない客観性を失った不健全さを育てていってしまったのだと私は思う。

同情はするが、私はあなたたちの意見には反対だ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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