実は暴飲暴食で90キロまで増えていた。
酒を泥酔するほど飲んで、餓鬼のように食べ物を詰め込む。
そして吐く。
ストレスが溜まると過食ぎみになる。
過食症と言われるほど症状がひどくはないし、慢性的ではないので徐々にこの体重まで増えてきて「将来糖尿病で死ぬのではないか」と思うほどだった。
しかしとある精神的なショックから今度は食べることに嫌悪感を催すようになり、あまり食べたくなくなった。
物を口にすると不愉快になって気分が落ち込む。
そんなこんなで友達が送ってくれた豆乳おからクッキーを間食しながら、以前の三分の一くらいの量しか口にしなくなったのだが、10日で3キロ落ちている。
単純計算して低く見積もったとしても、この調子だと6キロは1ヶ月で減りそう。
さすがにこれだけの短期間で体重が落ちると、少々めまいがする。
痩せてきたのはよいことだし、このまま筋肉つけずに痩せるのもどうかと思うので、またビリー隊長にお世話になることにした。
無理せず2日に1度のペースでやっているが、どうせ痩せるなら70キロぐらいまで落としたい。
急激に痩せるとよくないみたいだけれど、物をあまり口にしたくないし、食べると気分も悪くなるのでちょうどいいかなと思っている。
こういう水を大量摂取する生活をしていると「塩」の大切さがわかる。
何か足りないなと思ってトマトケチャップを舐めるとちょっと落ち着くし、中華スープなどを作って飲むと「足りない感」がなくなる。
味噌汁なども塩分があるので大事。
現代では塩分や油、糖分などを多量摂取し、食物繊維が足りない食習慣が蔓延しているけれど、改めてそれらの少ない生活をすると、大切さがわかる。
胃も小さくなってきていて、お腹に入る量も少なくなってきているし、一口の量でもよく味わって食べることにしている。
よく噛むことによって甘みもわかるし、食材本来のうまみもわかる。
ちなみにスーパーで売っている野菜の「おいしさの限界」みたいなのもよくわかる。
食卓に上がる料理のほとんどは下手をすれば「調味料で味をごまかしている」のがわかる。
野菜の味が薄いのでしょうがない。
肉類も「どんどん太らせて出荷する」というのがよくわかる油の不自然な乗りよう。
脂分をあまり摂取していないと小さなハンバーグだけでも胸焼けを起こす。
フライパンの中は油を敷かなくてもミンチから出てきた油でハンバーグが埋まりそうな勢いだ。
現代人の舌は化学調味料になれきっていて、本来の薄味で食材本来のうまみを引き出す味付けはなかなか受けないらしい。
好きなものが好きなだけ食べられる食文化だし、おそらく若い世代にはずいぶんと偏食家も育ってきているように思う。
食材の季節感もまったく感じられなくなった。
命を食し、自然に感謝するという気持ちも薄れゆく世界で、今自分は別にダイエットしようと本気で思い立っているにも関わらず、精神上の理由から結果的にはダイエットをしている。
身近にありふれたものが当たり前だと思うような生活をしているし、人間の感覚は身近にありふれたものを「常識」として脳内を固めていく。
慣らされてしまった挙句、本来の感覚を失っていく。
本来食生活は「足りないものを補う」という目的があるゆえに、日本人は野菜を中心にして栄養バランスを考えてきたはず。
足りないから補うのであって、足りているものをなお補うのは少々違う。
贅肉だって本来あまり必要のないものだろうし、ほどよい脂肪分さえあれば、あとは出っ張ったお腹の脂肪なんていらないはずだ。
どれだけ飽食の中で日々の生活や日々の人々に感謝できているかといったら、一日一回しているかどうかも怪しい。
あらためてしみじみ食べ物を食べると、食べることのありがたみがわかる。
ありがたく思うからありがたく摂取できる。
こういうのは勉学だろうと人の成長だろうと同じことだと思う。
小さなころからの癖からよく味あわないで流し込むように食べる癖がついてしまったけれど、時間がなかったり精神的に落ち着いていなかったりするとそうなってしまう。
だからいまだにお腹が苦しいほどいっぱいにならないと「満腹感」というのがよくわからない体になってしまった。
正常な感覚を取り戻すのは都会生活の中では非常に難しい。
かといって、ギスギスした人間関係があればどこであろうと正常な心を持つことは難しいだろう。
小さな変化や小さなありがたみを見失った生活をしていて、改めて感じることがたくさんあった。
基本的に人間は「ほどよく飢えて」いたほうが、健全な感覚でいられるのかもしれないと思った。
さて、私の体重、どこまで減るやら。
高校の時にまで戻れたらいいなと思っている。
[3回]
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