人の性格は変わらないと、優秀な年下が言った。
いつ頃からか、記憶があるうちでも20年ぐらい自分の性格と付き合っているはずだ。
心の弱さとコンプレックスと、そして理由のない不安だ。
だが、昔と違うのは行為における消極性を誘発するものではなくなってきた。
昔と同じなのは、何もかも捨てて独りになりたくなることだろうか。
人はなりたい自分になれると、どこかの本で書いてある。
自分のような人間にはちょっとすんなりはいかない。
そう言うと、言い訳だと言われた。
既に自分を決め付けて、やらない自分への言い訳を用意していると。
できる人から見れば、そうなんだろうな。
20代は何もできなかった。
これは本当に自分でどうしようもない状況に囲まれて、そして対処の方法を知らなかった。
ただ、何か大事が起こった時、そこから先、それを背負って生きていける自信がなかった。
なるべく小さく、波風が立たないように。
30代になってからは障害が取り除かれた。
運よくなのか、うまくまとまった。
だから今起こっていることの全ての結果は自分の責任だ。
やらないことに対しての言葉も言い訳だし、時間を無駄に使っているのも自分の責任だ。
何もかも起こっていることは、自分の選び取ったことだ。
人は意思の生き物だが、それ以上に行為の生き物だ。
それも、最も原始的な欲求を根底にしながら行為していく生き物だ。
だから思考は、ただの己への自己暗示でしかない。
すべての結果は行為の延長線上だ。
自分も勘違いしていたが、思考のみでは人生は何も動かせない。
行為でのみ評価される。
そして、優秀な人間は知識や知恵を、きちんと行為においてきちんと利用しているかの成果を見る。
知識に依存し知恵はなく、結果に言い訳し行為を省みず、やらないための理由を既に用意し壁を突破せぬ輩を彼らは嫌悪する。
能力がないとすぐに決断する。
人は己を常に観測してる。
そのほとんどは意識を観測している。
心というものが自分だと思って行動しているが、他者から見ればそれはただの思い込みでしかない。
行為でのみ、他者は見る。
心だけではどうにもならぬ。
言ってもわからないと見られたのなら、見捨てられて当然なんだ。
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