ちょっと考えてしまったのは、大人の「可能性を潰す言葉」というのが、子供に対してどれだけの深い傷を負わせるかということだった。
本当にいい大人が目を潤ませ、唇を震わせ、傷ついたことを素直に公衆の面前で語るというのは、よほどのことだ。
そして植松社長は、汚いこともやってきたのだろう。
酸いも甘いも経験してきた今だからこそ言えるようになったことなのだとわかった。
若いっていうのは、それだけで可能性だ。
他人が成し遂げられない何かを常に持っている。
つまらない大人はつまらない子供に育てようとするし、自分のつまらなさを年下の世代に伝えようとする。というか、日常で語りだす。なんでだろね。
これは例外なくそうだったし、世界観の狭い人間はそれ以上の広い世界を見ようと努力することはなかったし、常に自分の世界の中にこもろうとしていた。
でも、子供はそれがわからない。
大人が言っているんだから確かな事なのだろうと思うし、私も思っていたし、相当傷つけられたし、今じゃ性格がひねくれまくってて、あまりよくない大人になっている。
何かに挑戦し続けることはとても大変な事だし、そして理解も得られない。
他人がいいよいいよと言っていることは、大抵誰かがやっていることだし、そのいいよをやり続ける人しかいなかったら完全に閉鎖的な社会が出来上がるし、進歩はなくなる。
新しいことをやる人は常に好奇心の塊で、新しい発見をできることに喜びを見出している人たちだ。
この手の人たちって目が輝いているし、ワクワクするようなアイディアを沢山持っている。
そして不思議とやったことがない人は、自分ができないフラストレーションかコンプレックスかを絡めて、「それは無理だ」ということや否定的なことを言う。
以前勘違いしていた人がいたけれど、個人の問題と、他人まで巻き込む問題を一緒にし、ここの線引きがハッキリ出来ておらず、個人で夢を追いかけるのならまだしも、他人も巻き込んで、後のことは知らないって人がいたけれど、ようはね、周囲のよくない感情を引き起こしてしまう人はどうしてもどこかでその支払いをしなければならなくなってしまう。
人生のどこかで、ツケのようなものを支払うことになる。
人の希望を応援することは大変な事だ。
何をしてもよいということにはならないし、よく考え、よく実行し、そしてよく反省して、そして考え改良し実行するの繰り返しだ。
社長の言葉の中にもあるけれど、死に至らないセーフティーネットとなるのが学問であったりする。
知識は行為の中にあってこそ磨かれる。
ただの飾りであったり、知っているだけでそれ以上学ぼうとも見ようともしない人間を、学問は裏切っていく。
ただ、学べばいいということでもない。
様々なよくない感情が渦巻く中、成長中と自らを鼓舞できるのは強い人間だとは思うけれど、それでも夢を本気で追うことは、ただ惰性の中にいるよりもずっと楽しいし、誰に批判されても、自分の中で何かを確実に見つけている。
その見つけ出したものが、宝石となる。
よりよい人と繋がるための魅力的な輝きになる。
そして出会うべくして、人と人とは繋がるのだろうと言うことを、多くの経験から学ぶのだろうなと私も思っている。
私は少なくとも死ぬ間際に自分の人生に公開するのだけは嫌だ。
看護師が看取った人間の中の後悔で一番多いのが「自分の好きな事をもっとしておくべきだった」「自分にもっと正直であるべきだった」という類のものが多いのだそうだ。
それだけ押し殺して、何かの事情を借りながら自分を生かしているのだろう。
私はそれができないから、だからやりたいようにやるつもりだ。
自分のできる範囲を広げながら、なるべく返せるように、生きていくだけだ。
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