ナマ鈴木宗男というのを初めて目の当たりにしました。
毎日鍛えていらっしゃるとのこと、自分よりも元気だった。
あれはきっと不断の努力のたまものなのでしょう。
ああいうバイタリティーがないと政治家なんてできないのかもね。
そして後になれば遠くから町村信孝の選挙カーの音声が聞こえてくる。
さて、演説をしていたほうは鈴木宗男さんでいらっしゃったのだが、聞くにあたり、どうにもしっくり来ない。
自分が文を書くにあたり、言葉の選び方や内容がわかると、相手の演説のこともわかるわけですが、あれは詐欺師のテクニックですね。
これはどこの政治家の街頭演説でも同じことが言えるのですが、もっともらしいことを並べ立てて、具体的な内容がまったく話されず、遠巻きに聴衆を置きながら、現在の問題を漠然と、かつあいまいに並べ立て、あたかも国民が望んでいるかのような声、声援、不満を羅列し、マスメディアでやられつくしたような問題点を言い、そして去っていくという。
正直に言って、もう政治家はこういうことはやめたほうがいいと思う。
このインターネットの時代、情報が手に入りやすくなっている。
きちんと責任を持って投票をしたいと思っている有権者たちが望んでいるのは、内部の事情を知らないものが言うようなマスメディアの上っ面をなでたような論調ではなく、問題点を暴露しきって、そこに対して具体的にどのような案を持っているのか、ということなのではないでしょうか。
投票権を持っていて、少なくとも正治に関心はなくとも、日本のことを好きだという人は、責任ある投票をしたいと望んでいるはずです。
あんなあいまいな言い方では、中身もわからず、当選してからどうしたいのかも見えてこず、投げっぱなしの投票に、当選後勝手に動いていく政治家、そういうのは勘弁して欲しいと思っている方も少なくないのではないでしょうか。
いいことばっかり言って、グラビアアイドルの宣伝とあまり変わらないのではないかと思ってしまった。
当然、内部を詳細に知れば実現不可能、困難なこともできるでしょう。
それはそれで、きちんと向かっていく姿勢さえあれば、わかってくれる方も多いはず。
私たちはどれだけ国会で法案が通されているのか理解してません。
また、その内容にも目を通す時間がないでしょう。
だからこそ、真実を伝える人は貴重で、その真実に向かって案を持ってやりたいと願う政治家は大切になってきます。
責任を持ちたくても、責任をもてない票では、やはりどうしようもない。
会社のパンフレットみたいな、いいとこしか出してないものはいらない。
もっとどろどろしててもいいと思っています。
国家機密を扱っているわけじゃない。
国民あっての国家で、国民を支えるための国家で、善良で誠実さをもつ国民に対して誠実に対処するのが良識ある国づくりだとは思うのだけれど、実際のところはそう動けないとなると、不審、不安が広がり、あれこれとよからぬうわさだけが飛び交う。
あんまりよくないと思うのですけれどね。
政治家の誠実さって、我々の職業と似ていると思いますよ。
たくさんの人に耳を傾けて、たくさんの人の気持ちを知って、たくさんの人々がよりよくなるにはどうすればいいのかの理念をたてて、そして現状の問題点を知り、仕事に打ち込んでいく。
今は内部事情を知らないから、こう書いているものの、また中身を知ったら黙り込んだり、遠巻きに言うように自分もなったりしてね。
どうしましょ。
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