フェースブックには「いいね」というボタンがある。
その「いいね」がいかに無力かがよくわかった。
例えば「仕事を探しています。~という条件です」に対し、「いいね」は100件近く。
具体的な話は何一つなし。
私は実際に知人に問い合わせてみて、完全合致は難しいがこのような求人があると持ってきたのに対し、他そのような具体的内容は0件。
なんだそれ。
あまりにも虚しすぎる。
あまりにもどうでもよすぎる。
何もかも薄っぺらい。
私はネット上に10年近く、ほぼ朝から晩までいる時期があったけど、SNSの誕生とその利便さは、この「どうでもいい感じでありながらも、薄っぺらなやりとり」を助長させている元凶となっている。
友達らしき存在。
知人のような親しくもない他人。
いつ会ったかも覚えてないくらい「友達」が増えて、日々増える「友達の行動」は興味のない「記号」のようになっていく。
皆忙しいのですよね。
予定は仕事で埋まっていて、他の事をやる余裕もないくらい毎日を懸命に生きていらっしゃるから、せめて「助けてあげたいんだけどできないから、気持ちだけでも伝えたい」というための「いいね」なんですよね。
想いが安易な手段に頼りがちだから、何もかもが薄っぺらく見えてしまうのか。
それは自分の心が荒んでいるせいなのか、それとも本当に周囲は安易なのか。
目の前にボタンがあったらぽちっと押してしまいたくなるタイプなのか。
善意っていうのは、重いですよ。その押しつけも、やり遂げるのも。
まあ、それよりも、いかに「民衆」というものが動くのか、話題に対しての行動する人間のパーセンテージはしっかりと算出されているはず。
そろそろああいうSNSサイトも長いので、仕掛けられたプログラムで様々なデータを得ているだろうし、自分がああいうサイトのオーナーだったら今度は国相手に商売しだす。
つまりはロシアのようなラプラスの魔のようなプログラムを多数仕掛けて、ある一定の条件で起こりうる可能性を全てデータ化して売る。
これだけでも年間100兆近いビジネスになるんじゃないのかなと思ってる。
全世界の国を相手に商売すればいいんだから。
さて、そのように「データ」に支配される人種というのは、つまりは社会というものが民衆というものが完全コントロール下にあるということを実証することになる。
頭でっかちの、何も実体験で学んでいない、知識だけはあるような高学歴の輩。
ここらへんを先導役として、しっかりと社会に対しシビリアンコントロールの情報を流していく。
自分で調べたつもりが誰かの受け売り、誰かの価値観の二番煎じ、それ以下の真相すらも人間すらも無視した知ったような「学び」すらも入っていない、どうでもいい情報を掴まされながらの「意見」「考え」となっていく。
あまりにも虚しいではないか。
どうなっていくのだろう。
いや、思った通りになっていく。
社会は絶望的ではないにしろ、人間らしさを根本からすっぱ抜いた、枯れていくばかりの知識の集まりとして、常に何者かに栄養を与えられながら自力では生きられぬ状態へと傾いていくのだろう。
ここから新しい幸せは出来上がるのだろうか。
未来の幸せや繋がりはどうなっていくのか。
もう観察する前に色々自分でやってしまうだろうけどさ。
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