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あさかぜさんは見た

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10/23

Fri

2015

ゲームのように繰り返す

多くのお店ではバイトを雇っている。
正社員で埋め尽くすと、まず赤字になるからだ。
だけれどバイトは「責任感がない」とよく言われる。
だからすぐやめるのだ、と。
バイトでいるほうも、正社員ほど拘束されないし、責任という名の重い仕事を割り振られることが少ない分精神的に気楽でいられる。
だが雇うほうとしてはバイトが入るたびに教え込まなければいけないため、段々仕事に慣れてくると自分の感覚で「どうしてこんなことも覚えないんだ。一度教えたことは覚えろよ」くらいの感覚がムクムクと湧き出てくる。
ようは個人を個人として見るのではなく、段々と組織の部品として見出しているからそうなってくるのだ。
この時点で精神は既に荒んでいる。
だが雇っている側はどれだけ自分の精神が荒み個人を無視し始めているのか気がつかない。

とある店の店長が言った。
「バイトがすぐやめるんだよ。せっかく教えたのにさ、これじゃあ払ったコストに見合わないよ。責任感がないから今の若い子はすぐやめる。社会に出たら、あれじゃあやっていけないよ。まるでゲームやってるみたいだよ。人やめました。ゲームオーバー。また最初から。コンティニューはなし」
もはや八つ当たりである。
正しそうに見えるこの言葉が何故「八つ当たり」なのか。
「何故職場に人が残らないのか」は全て「トップの組織作り」の中に含まれるからで、一見「責任感がない」ような人間だって、色々考えていることはある。
その心情を知ることもなく、一方的に「責任感がない」は、「職務放棄」に他ならないし、もはや画一的に人をくくり、物事を断定しているのなら「思考が麻痺」してきているのと同じになる。

だが、ちょっと引いて見てみよう。
これらの発言をする人間は恐らく「自分の中での正解」があるから他人にそれを押し付けるのだろう。
その道から少しでも外れると間違いであるとなる思考に「ゲーム性」を見るのだ。
僕はその店長の言葉がとても気になっていた。
「まるでゲームみたい」
最初からやり直し。
また最初からやり直し。
この思考回路の中に酷く束縛感を覚えるし、つまり自分の中である種のルールを見つけることによって、あたかもそれが正しいかのように情報を集めだす「確証バイアス」が働き出す決定打でもあるし、もっと言うならば個人には個人のルールがあって、そのルールの統一性のようなものを経験によって得られると、個人は他人を断罪し始めるという不思議な心理が生まれるということに、ある種の恐怖を覚えるのだ。
それはある種の間違いを犯しながら人類というものを前進させてきた。

「人間が歴史を学んで分かることは、人間は歴史から何も学ばないということだけだ」
というヘーゲルの言葉は、人類の情報はあまりにも膨大で、そして人類の情報から学んでも、今の職場にはまったく役に立たないという諦観から来るのではないか、という気持ちさえ感じる。
この気持ちの根っこは「金が稼げないだろ」に集約される。
責任感がないというのも、結局はそれじゃあ社会人になっても職を失って生活が出来なくなる、生活が出来ないということは金が稼げない、ということになるし、ほとんどすべての心配事は「それでどうやって生活していくの?」という基本事項に沿って物事が肉付けられていくということだ。
もしこの発想で人間というものを捉えているのならば、それこそ思考が束縛されている。
人間は必ずしも思った通りにはなっていないし、思った通りになっていない、ちょっと社会上から外れているような輩に対し嫌悪感を抱くのは「人は自分と同じように苦労して欲しい」という呪いの投射でしかない。

人は同じことを繰り返す。
特に自身で解決できなかった過ちは、過ちを過ちと思っていないものは、何度でも繰り返す。
反省の気持ちはあったとしても、やはり以前のようなやり方が少しでもうまくいくと、「これは上手くいくのではないか」というギャンブルにはまるジャンキーのようになっていく。
ここでの過ちの定義は「創造の破壊」とする。
新しいものを何一つ生み出さず、他人への攻撃に力を置いているような事象だ。
多くの人は何か起こった時に何かを責め出す。
それはいつも自分以外の何かだ。
自分には罪がないと、何故か他のものを責めている時は思い込むのだ。

これら書いてきたことは、まるで個人で設定したゲームのように繰り返されている。
自分の中で法則性を見つける。
それを無意識にも実行しだす。
上手くいかないのはやり方が間違っているからだ、とどこかで思う。
やり方を変えて同じ道を進んでみる。
やはり失敗する。
少しでも上手くいくと、自分が失敗してきたのは他人が悪かったからだ、と思い込む。
自分が正しいと思っていることを実行できる人間がいるじゃないか。
だったら実行できない人間は、明らかにおかしい。
そんな考えに至ってしまう、このゲーム性。
そのほとんどの人間が「道そのものを変える選択」をしないのだ。

人類はゲームをしているのか。
それとも、ゲームを仕掛けているやつが常に存在するから、その下にいるものはルールはこれしかないと思い込んでしまうのだろうか。
さあ、何が正しい。
少なくとも「制約を与えるもの」ではないことは確かだ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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